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アルバート・コーツ  バッハ「ミサ曲ロ短調」  Ⅱ

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 続く第2部と第4部は1740年以降の1748~49年頃の作曲と考えられています。バッハはまさに自身の「死」の直前(1950年にバッハは現世を旅立っています)までこの「ミサ曲ロ短調」の完成に心血を注いでいたことになります。それほどまでにしてプロテスタントであったバッハがこの作品を完成させた理由は一体何だったのでしょう。それはプロテスタントやカトリックといった狭い枠組みを超えた絶対的な「神」に対する彼の純粋な信仰心だったのではないでしょうか。バッハはその宗派を超えた「神」に対する純粋な信仰をカトリックのミサという形で、音楽に表現しようとしたのではないでしょうか。またこのミサ曲は至るところでバッハのそれまでの作品が転用されている点も特徴的です。つまりバッハはこれまでの自身の作品のあらゆる要素をこのミサ曲の中に注ぎ込んだわけですね。
 
 従ってこの作品ではプロテスタント的な要素とカトリック的な要素が混在しています。例えば「ミサ曲ロ短調」の4部構成はプロテスタントの「旧教会聖歌選集」の区分によっています。また「サンクトゥス」ではカトリックのラテン語典礼文の「天と地はあなたの光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et 
terra gloria tua)である所を、ルーテル教会版の「天と地は彼の光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt
caeli et terra gloria ejus) と改訂しており、「グローリア」の二重唱‘Domine Deus’での、「主なる御一人子、最も高きイエス・キリストよ。Domine Fili unigenite,Jesu Christe,altissime」での「最も高き
"altissime"」はライプツィッヒのプロテスタント教会の慣例に基づいて追加されています。更に第2部ではプロテスタントで重要視される「イエスの受難」に中心が置かれています。(カトリックではイエスの復活に重点が置かれます)しかしこれらの総ての2つの要素が純粋な「神」への信仰という一点で結びつき、高い芸術性を持つ結果となりました。
 バッハの作品というのは作品自体が既にそれまでのあらゆるバロック音楽を総合し止揚したものであるわけですから、バッハは彼の純粋な信仰心によってこの「ミサ曲ロ短調」の中で、バロックの音楽様式だけではなく、それまでの宗派に拘泥した信仰のあり方をも総合し、それらを遥かに超えた信仰本来のあり方を音楽の中で実現しようとしたのかもしれません。
 
 近年になって「ミサ曲ロ短調」を聴く機会が多くなってきているのですが、この作品を耳にする度に、「マタイ受難曲」と比肩しうるバッハの傑作であるとの認識を深めています。そして時に、彼の生涯に渡った信仰の結実という一点で「マタイ受難曲」をも凌いでいる作品であるとも感じます。「西洋音楽のαでありωである」とも評される「マタイ受難曲」(1727 or 1729年)がバッハのライプツィヒ時代の巨大な一つのモニュメントとすれば、「ミサ曲ロ短調」は1724年からバッハの「死」の前年に渡ってそのモニュメントの核を堅固に築き上げていった傑作です。「初めに言葉ありき」ーいわばこの作品はバッハがその人生をかけて本来の信仰のあり方を私たちに訴えた作品ー「神の言葉」そのものを伝えようとした作品でもあったわけですね。
 
 今日紹介するアルバート・コーツ指揮によるバッハの「ミサ曲ロ短調」は、1929年にロンドンで行われたセッション録音です。29年といえばコーツがその指揮者としての最後の煌きを見せていた時代で、オーケストラは勿論ロンドン交響楽団です。しかし私はこの演奏を一聴して驚きを禁じえませんでした。冒頭の「キリエ」の凄まじいまでの魂の咆哮!その神に対する真摯な魂の祈りの叫び!!これだけでもこの演奏はその成功を確約してくれます。演奏は全く弛緩することなく祈りの響きを2時間あまり、終曲まで一気に聴かせて行きます。
 
 しかし、1929年という時点にこれほどまでに完成度の高いバッハの演奏が行われていたとは!ここではコーツの精神がそのままバッハに乗り移ったような凄まじい緊張感溢れる演奏が繰り広げられていきます。コーツの演奏は、彼一流の職人芸に裏打ちされてはいますが、バッハの本来の意図の実現ー「神の言葉」を伝えることを目指した演奏であるといって差し支えありません。当時を代表する4人のソリストーエリザベート・シューマン(S)、マーガレット・バルフォー(A)、ウォルター・ウィドップ(T)、フリードリヒ・ショア(B)は多少の弱みを覗かせるところもありますが、やはりそれぞれが充実した歌唱を聞かせ、またウォルター・レッグによって創設されたフィルハーモニア合唱団が見事な合唱を披露してくれるのも特筆すべき一点です。コーツによるこの演奏を聞くとバッハの最高傑作がこの「ミサ曲ロ短調」であるという考えも容易に理解することができます。録音は29年としては聞きやすいものになっています。
 
 名盤とされるリヒターの記念碑的な演奏が61年であったことを考えると、それよりも32年も前に録音されたこの演奏の凄さが分かってきますね。(尚、リヒターには61年の演奏以前に56年のライブ録音[モノラル]も残されています)。ともあれ、リヒターだマゼールだ、クレンペラーだ(勿論これらも名演奏ではありますが)、などと言う前に是非一度このコーツの演奏に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。彼のこの演奏の前にはモダン楽器やピリオド楽器などに拘泥することさえもが烏滸がましく思えてくるように感じます。それではアルバート・コーツ指揮ロンドン交響楽団の演奏でバッハの「ミサ曲ロ短調」の全曲をお送りします、お楽しみください。
 
 
   第1部
I. キリエ (Kyrie)
1.Kyrie eleison (1). 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ロ短調、アダージョ、ラルゴ、 4/4拍子 (C) 。
2.Christe eleison. 二重唱(ソプラノ1、2)、バイオリンオブリガート。ニ長調、アンダンテ、4/4拍子。
3.Kyrie eleison (2). 四部合唱(ソプラノ、アルト、テナー、バス)。嬰ヘ短調、アレグロ・モデラート、2/2拍子(分割C)。

II. グロリア (Gloria)
三位一体に基づき、緩やかに左右対照的な構造をとる9曲から構成され、中心に「ドミネ・デウス」(主なる神)がくる。
1.Gloria in excelsis. 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ニ長調、ヴィヴァーチェ、3/8拍子。カンタータBWV 191の冒頭曲に再利用されている。
2.Et in terra pax. 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ニ長調、アンダンテ、4/4拍子。この曲もカンタータBWV 191の冒頭に再利用されている。
3.Laudamus te. アリア(ソプラノ2)、ヴァイオリンオブリガート。イ長調、アンダンテ、4/4拍子。
4.Gratias agimus tibi. 四部合唱(ソプラノ、アルト、テナー、バス)。ニ長調、アレグロ・モデラート、2/2拍子。カンタータBWV 29「感謝します、神よ、感謝します」 (Wir danken dir, Gott, wir danken dir) の2曲目の転用。
5.Domine Deus. 二重唱(ソプラノ1、テナー)。ト長調、アンダンテ、4/4拍子。カンタータBWV 191の二重唱に転用。
6.Qui tollis peccata mundi. 四部合唱(ソプラノ、アルト、テナー、バス)。ロ短調、レント、3/4拍子。カンタータBWV 46の前半部分の転用。
7.Qui sedes ad dexteram Patris. アリア(アルト)、オーボエダモーレオブリガート。ロ短調、アンダンテ・コモード、6/8拍子。
8.Quoniam tu solus sanctus. アリア(バス)、コルノ・ダ・カッチャオブリガート。ニ長調、アンダンテ・レント、3/4拍子。
9.Cum Sancto Spiritu. 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ニ長調、ヴィヴァーチェ、3/4拍子。カンタータBWV 191の終曲に転用。
 
    第2部
III. ニカイア信条 (Symbolum Nicenum)
左右対照的な構造をとる9曲から構成され、中心に「クルシフィクス」(十字架につけられ)がくる。
1.Credo in unum Deum. 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ミクソリディアン、モデラート、2/2拍子。
2.Patrem omnipotentem. 四部合唱(ソプラノ、アルト、テナー、バス)。ニ長調、アレグロ、2/2拍子。カンタータBWV 171の冒頭曲の転用。
3.Et in unum Dominum. 二重唱(ソプラノ1、アルト)。ト長調、アンダンテ、4/4拍子。
4.Et incarnatus est. 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ロ短調、アンダンテ・マエストーソ、3/4拍子。
5.Crucifixus. 四部合唱(ソプラノ、アルト、テナー、バス)。ホ短調、グラーヴェ、3/2拍子。カンタータBWV 12「泣き、嘆き、憂い、怯え」 (Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen) 第2曲冒頭のシャコンヌのパートの転用。Crucifixusの最後の部分はBWV 12にはなく、新たに作曲された。
6.Et resurrexit. 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ニ長調、アレグロ、3/4拍子。
7.Et in Spiritum Sanctum. アリア(バス)、オーボエダモーレオブリガート。イ長調、アンダンティーノ、6/8拍子。
8.Confiteor. 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。嬰ヘ長調、モデラート、アダージョ、2/2拍子。
9.Et expecto. 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ニ長調、ヴィヴァーチェ・エド・アレグロ、2/2拍子。カンタータBWV 120の第2曲の転用。
 
   第3部
Ⅲ. サンクトゥス (Sanctus)
1.Sanctus. 六部合唱(ソプラノ1、2、アルト1、2、テナー、バス)。ニ長調、ラルゴ、4/4拍子・ヴィヴァーチェ、3/8拍子。現在では失われた1724年作曲のソプラノ3声、アルト1声の作品からの転用。
 
   第4部
Ⅳ.ホザンナ、ベネディクトゥス、アニュス・デイドナ・ノービス・パーチェム (Hosanna, Benedictus, Agnus Dei, Dona Nobis Pacem.)
1..Hosanna. 八部合唱(複合唱)(ソプラノ1、2、アルト1、2、テナー1、2、バス1、2)。ニ長調、アレグロ、3/8拍子。BWV 215の冒頭曲の転用(ただし共通の祖曲がある可能性もある)。
2.Benedictus. アリア(テナー)、フルートオブリガート。ロ短調、アンダンテ、3/4拍子。
3..Hosanna(ダカーポ). 八部合唱(複合唱)。
4..Agnus Dei. アリア(アルト)、ヴァイオリンオブリガート。ト長調、アダージョ、4/4拍子。失われた1725年作曲の結婚カンタータの転用。同じ曲が、昇天祭オラトリオ(BWV 11)にも使用されているが、明確な差異があるため、同じ曲を祖曲としていると考えられている。
5.Dona nobis pacem. 四部合唱(ソプラノ、アルト、テナー、バス)。ニ長調、モデラート、2/2拍子。「グロリア」の "Gratias agimus tibi" と同曲。





 

 
バッハ「ミサ曲ロ短調」
 
エリザベート・シューマン(S)
マーガレット・バルフォー(A)
ウォルター・ウィドップ(T)
フリードリヒ・ショア(B)
 
アルバート・コーツ指揮
ロンドン交響楽団
フィルハーモニア合唱団
1929年録音







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