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ハチャトゥリアン 「ガイーヌのアダージョ」ー「2001年宇宙の旅」

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船内にて
 
 
   
 おはようございます。今朝は御贔屓の一曲、アラム・ハチャトゥリアンの作曲したバレー組曲「ガイーヌ」から、「ガイーヌのアダージョ」をお送りしましょう。ハチャトゥリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」といえば、専ら「剣の舞」だけが有名ですが、この組曲にはそれ以外にも珠玉のような作品が鏤められています。さしずめこの「ガイーヌのアダージョ」などはその格好の一例でしょう。

 この作品を初めて聞いたのが高校1年生の頃、デッカから発売されていたハチャトゥリアン自身の指揮するウィーン・フィルのLPレコードを買った時でした。しかしここで聞いたハチャトゥリアンの演奏の凄まじかったこと!あのウィーン・フィルがまるで彼の指揮棒の下で悲鳴をも上げそうな見事なものでした。有名な「剣の舞」にも圧倒されましたが、何よりも感動したのはこの「ガイーヌのアダージョ」!曲の冒頭からゆっくりと流れてくる切なくやるせない主題、何か人間の心の煩悶を表現するような主題と、その静かにうねり流れてゆくこころの動きそのもののような音楽の展開に酔いました!!加えてウィーン・フィルの醸し出す音色の素晴らしさ。まさにこの演奏は異質の文化を背負う音楽家=人間がその生涯に一度限り邂逅した稀有の名演。このレコードは当時廉価盤シリーズで発売されていたもので、1,500円という価格でしたが、この価格でこれだけの名盤が手に入れられるとは!!ハチャトゥリアンは後に「ガイーヌ」をロンドン交響楽団と再録音していますが、その出来はこの演奏に遠く及ぶものではありませんでした。

 それから数年後にスタンリー・キューブリックの名作「2001年宇宙の旅」を映画館で見ることが出来ましたが、このSFの傑作の音楽の使い方で、私が最も感動したのは「ツラトゥストラはかく語りき」でも「美しき青きドナウ」でもなく、木星へ向かう宇宙船ディスカバリー号の航海のバックに流される「ガイーヌのアダージョ」でした。(演奏はロジェストヴェンスキー指揮レニングラード・フィル)DVDを手に入れてからはこのシーンを何度もリピートして鑑賞しました!

 人間に作り上げられた万能コンピューターHAL9000に支配されるディスカバリー号内のぞっとするような冷たい空間と乗組員の心理描写に「ガイーヌのアダージョ」が効果的に使用され、この後に展開されるHAL9000の叛乱をも予期させるような見事な効果をあげていました。考えて見ればこの宇宙船ディスカバリー号の万能コンピューターHAL9000は、旧約聖書の「バベルの塔」でもあるわけですね!しかしさすがにクラークの原作はここで止まることなく、ニーチェの哲学を継承したかのように「超人」の誕生へとそのステップを進めていきます。

 今日は「2001年宇宙の旅」から「ガイーヌのアダージョ」が使われた印象的な宇宙船ディスカバリー号の航海のシーンと「ガイーヌのアダージョ」の全曲をお送りしましょう。(残念ながら演奏者は不明です)お楽しみくださいね!
 
  PS.尚本文中で触れたハチャトリアン指揮ウィーン・フィルによる「ガイーヌ」の自作自演のCDは最後に紹介しています。
 
 
 

フルトヴェングラー  リスト「前奏曲」    (AC復興  26)

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 人生は死への前奏曲でなくて何であろうか。 
愛は全ての存在にとって魅惑的な朝である。
 
しかし運命は冷酷な嵐によって 
青春の幸福を必ず破壊してしまう。
 
傷つけられた魂は孤独な田園生活に
 その慰めを見いだすが、 
人はその静けさの中に長くいることに耐えられない。
 
トランペットの警告がなりわたるとき、 
すべての人は自分自身の意義を求めて 
再び闘いの中心に飛び込んでゆく。
 

 上に引用したのはリストの交響詩、「前奏曲 "Les Pr?ludes"」のスコアの扉に書かれた序文です。今日はリストの「前奏曲」を紹介することにしましょう。交響詩という形式は定義付ければ、「管弦楽によって演奏される単一楽章の標題音楽」となるでしょうか。19世紀のロマン派のピアニストであり作曲家でもあったリストは、詩や絵画の内容を音楽で表現するために「交響詩」(Sinfonische Dichtung)という形式を創始しました。「交響詩」は通常、一定の標題をもとに、自由な形式で作曲家のこころの中に浮かんだ音楽を管弦楽で表現していきます。この「交響詩」はロマン派の表現形式に相応しかったために、多くのロマン派の作曲家が優れた作品を作曲していきました。リストは13曲の交響詩を作曲しています。

 「前奏曲 "Les Pr?ludes"(レ・プレリュード)"」ハ長調はフランツ・リスト(Franz Liszt 1811~ 1886年)によって1854年に作曲された彼の最も有名な交響詩です。この作品の
もとは男声合唱曲「四大元素」(Les quarte ?l?ments,オートランの詩に基づく、1844~ 1845年)のための序曲に使われた主題を用いて1848年に作曲された楽曲でした。リストは後にこれを改訂し交響詩として作曲した際に、ラマルティーヌの詩「詩的瞑想録」を自身で再構成した上で、楽曲のスコアの扉に序文として付加しました。「前奏曲」の初演はリスト自身の指揮で、1854年にヴァイマルで行われました。全曲は一つの主題によって緩ー急ー緩ー急と展開されていく一種の変奏曲のような形式を採っています。 

 私がこの作品を初めて聞いたのが高校生の頃、ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮のウィーン・フィルの演奏(1954年録音)によるレコードでした。カップリングはベートーベンの交響曲第3番「英雄」。勿論当時のお目当ては「英雄」で、こちらも見事な演奏でしたが、「前奏曲」もリストのこの作品がフルトヴェングラーの指揮により巨大なパトスの塊となって、一つのドラマが宇宙大に繰り広げられるような壮大で稀有な名演奏になっていました。リストの作品とフルトヴェングラーの演奏を通して、高校生の若きこころに「青春とは」、「人生とは」という甘いペシミズムがふつふつと湧現してくるのを実感したことを今でも憶えています。
 
 今日は先ほどフルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルの1954年の演奏で「前奏曲」をYou Tubeにアップしましたので、その音源をお送りしましょう。尚、この録音はブライトクランク・ステレオ(擬似ステレオ)化されています。それではフルトヴェングラーの演奏でリストの「前奏曲」をお楽しみ下さい。










佐良直美  「ひとり旅」

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        寒北斗こころに沁みる小夜曲(セレナード)
 
 
 
 こんにちは、今日の雨は「花冷え」の雨でもあるのでしょうか。外には冷たい篠突く雨が降り続いていますね。実は久しぶりに体調を壊してしまい、土曜日は一日休養を取ってしまいましたので、しばらくブログの更新ができませんでした。そういえば今年の冬は厳冬との予報が出ていましたが、「冬」があまり長引くのも困りものですね。こんな日は部屋を暖かくして好きな音楽に耳を傾けるのもまた一興でしょう。そこで今日は、隠れた歌謡名曲の一つである佐良直美の「ひとり旅」をお送りしましょう。

 思えば私ももう今年50代に入ってしまい、かつての友人の何人かは既に事故や病気で世を去ってしまっています。今年また一人幼馴染が「霊山(りょうぜん)」へと旅立ちました。こんな日には、仲が良かった友人のことどもをふと思い出してしまったりもするものですね。あのしぐさ、あの笑い顔、そしてあの口癖。懐かしい友人のことに思いを馳せてしまうことも、時には良いものでしょう。「死んだあいつはどこで見てるのでしょう。ひとり旅する寂しさを」ーこの曲の歌詞がしみじみとこころに響く今日この頃です。 
 
 「ひとり旅」は吉田旺(おう)作詞、浜圭介作曲による、フォーク・ソングタッチの名曲です。この作品がリリースされた76年当時、私はまだ高校生でしたが、ラジオではじめてこの曲を聞いて以来、すっかりお気に入りになった1曲です。そういえば佐良直美の名前もこの作品あたりからすっかり聞くことがなくなってしまいました。現在は女性実業家として活躍をしているということですが、今年は(2010年当時)27年ぶりに「いのちの木陰」という作品が11月にリリースされ、歌手活動を再開する予定だそうです。彼女にはまだまだ歌手としての活躍もしてほしいものですね。またこの作品は作詞家吉田旺自身の大のお気に入りの作品でもあったということです。しかし悲しいかな吉田旺の望むようなヒット曲とはなりませんでした。
 
 
  今日の午後は、佐良直美と三好英史、そして美空ひばりの歌う動画をお送りしましょう。それでは三人三様の「ひとり旅」をお楽しみ下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 (You Tubeで見るをクリックして鑑賞してください)

 
 
 
 
 「ひとり旅」
 
作詞:吉田 旺 作曲:浜 圭介
 
見知らぬ町の古い居酒屋で
ししゃも肴にひとり飲んでます
扉開くたびちょっと風が吹き
洗いざらした暖簾めくります
死んだあいつがいたら演歌なんか
うなりそうな夜更けです
おひとりですかなんて親父さんに
きかれ涙ぐむ夜更けです
 
店に流れるりんご追分が
旅に疲れた心ほぐします
ひなびた店でいつも飲んでいた
あいつの気持ちわかる気がします
死んだあいつがいたら小皿なんか
たたきそうな夜更けです
お強いですねなんていわれながら
無理に笑ってる夜更けです。
 
死んだあいつはどこで見てるのでしょう
ひとり旅する寂しさを
大丈夫ですかなんていわれながら
お酒並べてる夜更けです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ヨゼフ・カイルベルト 「大地の歌」   (AC復興 27)

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 HMVで待つこと6ヶ月以上にして、6年ほど前にようやくこのCDを手に入れることができました。演奏はヨゼフ・カイルベルト指揮バンベルグ交響楽団、テノール:フリッツ・ヴンダーリッヒ、バリトン:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ、曲名はマーラーの「大地の歌」です。カイルベルトは少なからずのマーラーの演奏を行っており、中には知られざる名盤もあるようですが、さしずめこの「大地の歌」の演奏などはその最右翼に位置するものかもしれません。
                                                              イメージ 1 録音は1964年、海賊盤でしょうが当時のライブの音としては通常より少し良い程度。一体にブルックナーとマーラーの作品の指揮をして両方ともに感銘を与えるのは指揮者にとって至難の業です。事実多くの指揮者の演奏を聞いてみると、多かれ少なかれどの指揮者もそのどちらかに傾いているようです。
 私はカイルベルトの演奏ではやはりブルックナーを好んでいます。ベルリン・フィルとの6番、ケルン放送響との8番、N響との4番・7番、そしてバンベルグとの9番!いずれも滔滔とした音楽の流れを持つブルックナーの本質をつかんだ滋味深い名演奏でしたが、殊にベルリン・フィルとの6番は圧倒的な名演。しかしこのマーラーの「大地の歌」もまたカイルベルトの残した忘れることのできない演奏です。

   冒頭部から作品をしっかりと鷲掴みにしたようなカイルベルトの作り出す音色にまず圧倒されます。細部に拘るよりも作品全体の構造をしっかりと聞かせてくれるその手腕はすっかり巨匠のもの。手兵であるバンベルグ交響楽団は残念ながら決して力量が高いということはできませんが、しかし全霊を持ってカイルベルトの要求に応えている所は好感を与えます。続くヴンダーリッヒの輝かしいビロードを思わせる一声!ここでもうこの演奏の成功は約束されたようなもの。その天上から降り注ぐような美声!!ヴンダーリッヒにはイッセルシュテットとクレンペラーと共演した録音もありますが、その声の輝かしさと若さではおそらくこの録音が随一でしょう。クレンペラー盤での歌唱も見事なものでしたが、モノラール録音ながらここでのヴンダーリッヒの歌唱も決してそれに劣るものではありません。(イッセルシュテットとの共演では録音のせいかヴンダーリッヒにしては、ややおとなしすぎる印象を与えましたが)
 
 またフィシャー=ディースカウのバリトンが聞けるのもこの演奏の大きな魅力。(ディースカウはバーンスタインとも共演していました。またヴンダーリッヒとディースカウはヨゼフ・クリップス指揮の「大地の歌」でも共演しています)ディースカウの理知的な歌唱はここでも聞くものを唸らせます。その計算された設計に持ち前の美しい声!しかし少しばかり抑制が利きすぎていると感じてしまうのはヴンダーリッヒの歌唱が余りに素晴らしいため。マーラーはアルトの代わりにバリトンの歌唱でも可と指定していますが、個人的にこの作品についてはバリトンよりもアルト(コントラルト)の声の方を好んでいます。男声と女声の声質の違いの妙、またこの作品での人生の寂寥感や諦観を表現するにはくすんだような暗めの女声のコントラルトが一層適しているようです。カイルベルトの醸し出す音色はマーラーにしては確かにやや明るめのものに感じますが、この演奏はカイルベルトとヴンダーリッヒ、フィッシャー=ディースカウによる三人の実力が三つ巴になって結実した快演です。
 
 
第1楽章 「大地の哀愁に寄せる酒の歌」 (8:45)
アレグロ・ペザンテ イ短調 3/4拍子

詩は李白「悲歌行」に基づくが、自由に改変されている。テノール独唱。
ホルンの斉奏で始まり、劇的でペシミスティックな性格が打ち出されている。歌詞は三聯からなり、各節は「生は暗く、死もまた暗い」という同じ句で結ばれる。この句は最初はト短調、2回目に変イ短調、3回目にはイ調(長調と短調の間を揺れ動く)と半音ずつ上昇して強調されていく。全曲中最も緊密に構成された楽章。
 
第2楽章 「秋に寂しき者」 (9:37)
やや緩やかに、疲れたように ニ短調 3/2拍子

詩は銭起「效古秋夜長」とされてきたが、近年は張籍もしくは張継との説が有力。アルトまたはバリトンで独唱されるソナタ形式の緩徐楽章とも考えられる。
 
第3楽章 「青春について」 (3:11)
和やかに、明るく 変ロ長調 2/2拍子

詩は李白「宴陶家亭子」に基づく。テノール独唱。ピアノ稿の題名は「陶製の亭」であり、ベートゲの題名をそのまま使用している。音楽は五音音階を用いて東洋的な雰囲気を醸し出し、全曲を通してのオアシスのような諧謔味を備えた楽章になっている。
 
第4楽章 「美について」 (6:53)
コモド・ドルチッシモ ト長調 3/4拍子

詩は李白「採蓮曲」に基づく。アルト(バリトン)独唱。ピアノ稿の題名は「岸辺にて」であり、ベートゲの題名をそのまま使っている。蓮の花を摘む乙女を描く甘美な部分と馬を駆ける若者の勇壮な部分が見事なコントラストを作っている。
 
第5楽章 「春に酔える者」 (4:15)
アレグロ イ長調 4/4拍子

詩は李白「春日酔起言志」に基づく。唐詩の内容に最も忠実とされる。
ここでも管弦楽の間奏部分などに五音音階が顕著に用いられている。
 
第6楽章 「告別」 (30:24)
重々しく ハ短調 4/4拍子 拡大されたソナタ形式 アルト独唱

詩は前半部分が孟浩然の「宿業師山房期丁大不至」、後半部分が王維の「送別」によっている。ベートゲの詩は唐詩に忠実だが、マーラーは2つの詩を結合させた上、自由に改変、裕に全曲の半分ほどを占める長大余韻を残す楽章になって
いる。曲の最後は「永遠に」の句を繰り返しながらハ長調の主和音「ハ-ホ-ト」=三和音に至るり曲を閉じていくが、この和音に音階の第6度音のイ音が加えられて「ハ-ホ-ト-イ」=「ド」「ミ」「ソ」「ラ」となっているため、ハ長調ともイ短調ともつかない、閉じられない大きな余韻を残す。これは当時としては極めて斬新な和声の使用で、マーラーは従来の音楽理論を打ち破った新機軸を打ち立てている。またマーラーはこの部分にGanzlich ersterbend (完全に死に絶えるように)と書き込んでいる。

                                             (参考 ウィキペディア)

 
 尚、歌詞はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E3%81%AE%E6%AD%8Cを参照してください。 また解説に書かれた所要時間はカイルベルトの演奏時間になります。
 
 さてそれではカイルベルトの指揮するバンベルグ交響楽団の演奏で「大地の歌」の全曲をお送りすることにしましょう。ヴンダーリッヒの輝くような素晴らしい美声とディースカウの知性的な歌唱をお楽しみ下さい。
 









 

4月8日「花祭り」に寄せて  イヴェット・ジロー  「花祭り」  (AC復興 28)

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 おはようございます。来る4月8日は「潅仏会」、お釈迦様の誕生日、「花祭り」ですね!そこで今朝は御贔屓にしているフォルクローレの名曲、「花祭り」をお送りすることにしましょう。
 
 「花祭り」といってもこの作品は実際には仏教の「潅仏会」との関係はなく、原題は「エル・ウマウアケーニョ(スペイン語:El Humahuaque?o」といい、 「ウマウアケーニョ」は、スペイン語で「ウマウアカの(人や物)」という意味を持っています。「ウマウアカ」は、アルゼンチン北部にある渓谷の町の名前で、この地方はアルゼンチンでは珍しくアイマラ族が多く住んでいるのでこの作品はボリビアやペルー(アマイラ族が多く住んでいます)のフォルクローレとして紹介される事も多いようです。
 
 「花祭り」は「コンドルは飛んで行く」と同じように、元来民謡だったものをエドムンド・サルディバール(Edmundo P.Zaldivar)が採譜し、アレンジを施して1943年に発表した曲とされていますが、音楽の様式的には「カルナバリート(carnavalito)」と呼ばれることから、「カルナバリート」や「春祭り」と呼ばれることもありますが、今日は往年のシャンソンの名歌手イヴェット・ジローの歌で「花祭り」ー「ウマウアケーニョ」をお送りしましょう。
 
 イヴェット・ジロー(Yvette Giraud)は1922年、9月24日にフランスのパリで生まれました。(1916年9月16日生まれという説もあります)彼女は最初レコード会社のタイピストとして働いていましたが、持ち前の美声をレコード会社のプロデューサーに認められ、1945年にプロ歌手としてデビューします。翌46年に「あじさい娘"Mademoiselle Hortensia"」をリリースし、この曲がヒットを記録、「あじさい娘」は彼女の代表的な一作となりました。
 
 「花祭り」はフランス語の歌詞が新たに付けられて、シャンソンとしてヒットしますが(原題は"La fete des fleurs")、これをディアマンテスらが日本に紹介し、薩摩忠らが日本語の歌詞を作詞しました。「花祭り」という邦題は日本に入った時にこの作品の持つ明るさやカーニバルを思わせる陽気な性格から付けられたようです。「ウマウアカの谷にカーニバルが来るよ、チョリータさん」という内容の歌詞が、チャランゴやケーナ、ボンボといったフォルクローレを代表する楽器によって一抹の寂しさを持ちながらも、底抜けに楽しく歌われています。
 
 
 イヴェット・ジローのやや男性的ともいえる歌声は不思議な魅力を持ってリスナーの耳に響いてきます。私は「花祭り」を聞いてこれほどの感慨を覚えた経験は他にありません。本当に味わいのある名唱です。特に最後に聞かれる小さな嘆息が、「花祭り」を迎えた静かな感動を物語っています。それではイヴェット・ジローの歌で「花祭り」をお楽しみください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

"La fete des fleurs"

  Sur la riviere qui fuit
Des guitares jouent doucement
Les barques glissent sans bruit
Sous un pont de lianes d'argent
Barques chargees de fleurs
Mirant leurs couleurs
Dans le bleu des eaux
Le chaud soleil s'endort
Dernier reflet d'or
Dernier chant d'oiseau

  Que le silence est doux
Sans les singes fous et les perroquets
Le firmament des nuits s'est epanoui
Comme un grand bouquet

  Car c'est la fete des fleurs
Et l'amour est seul a cueillir
Car c'est la fete des coeurs
Et je sens le mien tressaillir
Chante pour moi tout bas
Que je vais sur ton bras
Appuyer ma joue
Qu'importe le destin
Ce n'est qu'au matin
Que ma vie se joue

  Car c'est la fete des fleurs
Et l'amour est seul a cueillir
Car c'est la fete des coeurs
Et je sens le mien tressaillir

  Barques chargees de fleurs
Portant les rameurs
Et les musiciens
N'est-ce qu'un carnaval ?
Ca m'est bien egal
Je me sens si bien
Si bien, si bien, si bien, si bien

 
 
 
 
「花祭り」
 
訳:壺齋散人 

  流れゆく 川面には
ギターの音が響き
舟は音も無く
橋の下をゆきかうよ
いっぱいに つんだ
花が 水に
姿を 映すよ
陽は まどろんで
金色にひかり
鳥が 歌うよ

  あたりは静まり 
猿やオウムの声も聞こえない
夜空はゆったりと広がる 大きな
花束のように

  これは花の祭なの
みんなで花を摘みましょう
これは心の祭なの
わたしの心も震えているわ
わたしの ために
歌を 歌って
素敵な愛の歌を
なにも かも
愛のために
捧げましょう

  これは花の祭なの
みんなで花を摘みましょう
これは心の祭なの
わたしの心も震えているわ

  花を摘んだ
舟をこぐのは
ミュージシャン
これはカーニバル?
そうねとっても
素敵な祭ね
素敵な祭ね
 
 

貴志康一 ヴァイオリン協奏曲  (AC復興 29)

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 おはようございます。今朝は貴志康一作曲による、ヴァイオリン協奏曲をお送りしましょう。この作品は以前一度採り上げましたが、第1楽章のみの紹介でしたので、今朝は全曲を紹介することにしましょう。
 
 貴志康一(1909~ 1937年)は、大阪府出身の作曲家であり、指揮者、そしてヴァイオリン奏者でもありました。彼は1909年(明治42年)に大阪市都島区網島町の貴志弥右衛門とカメの間の長男として誕生、父方の弥右衛門の祖父は代々式部卿を務め、また母親カメの実家は有数の豪農で庄屋という恵まれた境遇に生まれています。彼は幼い頃には絵画に傾倒しましたが、甲南中学校に進学した後はヴァイオリニストを目指すようになり、17才の時には甲南中学校を中退してジュネーブ音楽院に留学するためヨーロッパに渡ります。そしてジュネーヴ音楽院を優秀な成績で修了した後は、ベルリン高等音楽学校でカール・フレッシュの教室で作曲と音楽理論を学び、それ以降はヨーロッパを活動の拠点として多くの作品を残しました。この時に作曲を学んだのはパウル・ヒンデミット、そして指揮法を学んだのはあのウィルヘルム・フルトヴェングラー!
 
 クラシック音楽黎明期の天才音楽家がその命を賭して紹介した日本の音楽芸術!しかしその死はあまりに早く訪れてきました。この後、清瀬保二(「日本祭礼舞曲」)、小山清茂(「管弦楽のための木挽き唄」)、そして外山雄三(「管弦楽のためのラプソディー」、「ヴァイオリン協奏曲」)等は貴志康一が辿っていった作曲の道程をそのまま踏襲して自らの作品群を発表していくことになります。貴志康一は日本の現代音楽の道を命がけで切り開いていった草分けだったわけです!その作品群は時が経つにつれてますますその燻し銀のような美しい輝きを増しています。
 
 今回私が聞いたCDは「転生」と銘打ったアルバムで、収録されている作品は彼の「13の歌曲」と「日本のスケッチ」です。しかし、この時代にベルリン・フィルを振って自作の作品を自在に演奏している彼の才能の凄まじさにまず驚きます。またベルリン・フィルの音色の心憎いこと!しかもこの時代はフルトヴェングラーとベルリン・フィルの全盛時代!!その時代に5音音階の日本のメロディーを自作の中で展開させ、日本の音楽を紹介した功績は計り知れないものがあります。天賦の才能を持ち、ドイツ人にも決して劣ることのない活動をした音楽家がこの時代にいたという事実は、決して忘れてはいけないことですね。

「13の歌曲」はいずれも5音音階を使った作品で、歌詞は貴志康一自身が作詞をしていますが、作品の中で日本古謡の「さくらさくら」や「篭かき」等のメロディーも使われています。一方「日本のスケッチ」は4曲から成る管弦楽曲ですー第1曲「市場」・第2曲「夜曲」・第3曲「面」・第4曲「祭り」。ここでも5音音階が多用されています。その分かりやすい素朴なメロディーと作品から伝わってくる彼の音楽家魂ー何としても日本の音楽を世界に紹介したいという志は聞く者の心の琴線に触れていきます。しかしこの若き才能も、僅か28歳でその音楽家としての活動を総て停止せざるを得ませんでした。貴志康一は1937年、心臓麻痺の為この世を去ってしまいます。享年28歳、合掌。

さて今日は最後に、貴志康一が作曲したヴァイオリン協奏曲の全曲をお送りしましょう。この作品はヴァイオリン奏者でもあった貴志康一がそのヴァイオリンの音に託して日本の文化ー日本人のこころを音楽で伝えようとした入魂の一作です。以下に簡単な構成を書いておきます。


 第1楽章 アレグロ・モルト 4/4   13:31
二つの叙情的で日本的な主題が提示され、それぞれに発展して展開部を迎えるとカデンツァが奏されて再現部に入る。次に二つの主題が再現されたあとにホ長調のコーダで幕を閉じる。

第2楽章 クワジ・アンダンテ 4/4   8:57
叙情的で美しい緩徐楽章ー3部形式。木管とハープの主題にヴァイオリンが絡んで詩情豊かな音楽が繰り広げられてゆく。中間部では、ダブルストップによる新しい旋律が出て十分展開され、短いカデンツァを経てコーダを迎える。

第3楽章 モルト・ヴィヴァーチェ 2/4+6/8  14:17
3つ以上の主題を自由に展開させ、絡ませながらクライマックスを形成する。第1主題の第1主題からのモチー フと思われる動機が活躍し、短いカデンツァとコーダを迎えて全曲を閉じる。


それでは貴志康一のヴァイオリン協奏曲を数住岸子のヴァイオリンと小松一彦指揮東京都交響楽団の演奏でお送りします。お楽しみくださいね!














カリンニコフ 交響曲第1番

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 こんにちは、今日の午後はロシアの天才作曲家、カリンニコフの交響曲第1番を紹介してみましょう。

 ヴァシーリー・セルゲイェーヴィチ・カリンニコフ(Vasily Sergeyevich Kalinnikov, 1866~1901年)は35歳を目前にして、夭逝してしまったロシアの天才作曲家です。彼が残した作品は僅か2曲の交響曲(第1番ト短調、第2番イ長調)といくつかの管弦楽作品、そして少なからずの歌曲。カリンニコフの2曲の交響曲は20世紀の初頭には頻繁に演奏されていましたが、なぜかその後は演奏会で採り上げられる機会が減り、彼の名前もすっかり忘却の淵へと追いやられてしまいました。

 この交響曲第1番を初めて耳にしたのは、もう10数年前のこと。当時NXOSのカタログを持っていた私はその日本での売り上げチャートに眼を通していました。すると何年か連続して売り上げのNo.1をキープしているCDに眼が止まりました。作曲者、カリンニコフ、交響曲第1番ト短調、第2番イ長調。演奏はテオドレ・クチャル指揮ウクライナ国立交響楽団。恥ずかしながら私は彼の名をこの時はまだ知りませんでした。勿論作品を知る由もありません。さてこうなると日本人の間で何年も高い人気を保っているという作品を耳にしたくなるものです。そこでやや半信半疑ではりありましたがCDを購入しました。

 新品のCDのビニール・カヴァーを取り、CDを取り出して再生装置にセット、そして徐に再生ボタンを押します・・・。するとそこから流れてきたのは郷愁を誘うロシアの大地の土の香り!そのメロディーはどこまでも優しく聞く者を包み込んでいきます。この第1主題のそこはかとない哀しみ、そしてこころを慈しみ自らが揺らぐような第2主題!音楽は展開部を迎え、再現部へ入りましたが、第2主題の持つ不思議な明るさと一抹の侘しさが強い印象を残します。その言い知れぬ寂寥感!この作品は民謡をモチーフに使い、ロシアの大地にしっかりと根を下ろしたロマン派交響曲の傑作でした。ロシア民謡は日本人にとっても親しみ深いものですが、私はこの時、お国訛りの日本の民謡や演歌を聞いたような懐かしさを憶えました。作品は続いて第2楽章に入りましたが、その美しいメロディーを持つ緩徐楽章の見事さ!しばらくはそのメロディーの美しさに恍惚としたのを憶えています。3楽章のチャーミングなスケルツォ、そして圧倒的響きを持つ終楽章と音楽は瞬く間に進んでいきました。作品を聞き終えた後、そこには感動に浸って呆然としている私がいました。クチャルの演奏もまたこの傑作を味わうに十分なものでした。

 交響曲第1番の構造はソナタ形式に則った堅固なもので、その構築は古典的で新機軸こそないものの、全曲を貫徹するしっかりとした構造とロシア民謡を思わせる美しいメロディーは見事なものです。カリンニコフはチャイコフスキーやロシア5人組と同時代の作曲家ですが、そのどちらにも属しておらず、残された作品を聞くとドボルザークなどのようにロマン派の国民学派あたりに位置されるのではないかと思います。ここで作品全体の構造を書いておきましょう。
 

第1楽章 ト短調・ソナタ形式 Allegro moderato   14:06
ロシア的な性格を持つ美しい2つの主題の発展を基盤とする、ソナタ形式です。

第2楽章 変ホ長調・3部形式 Andante commodamente   7:10
木管楽器と弦楽器による、美しく穏やかで、抒情的な雰囲気を持つ洗練された緩楽章です。

第3楽章 ハ長調・複合3部形式 Allegro non troppo-moderato assai   7:35
ロシアの農民の舞踊曲のようなメロディーを用いた、躍動的なスケルツォです。

第4楽章 ト長調・ロンド形式 Allegro moderato   8:29
第1楽章の主題を織り込みつつ、エネルギッシュですが寂寥感を伴う第4楽章の主題が演奏されます。後半では、第2楽章で穏やかに美しく奏でられていた主題も勇壮に奏でられ、堂々としたフィニッシュを迎えます。
 

 カリンニコフは1886年にオリョーリ県の貧しい家庭に生まれました。幼少の頃から思うような音楽教育を十分には受けることができませんでしが、彼は学才を発揮して14歳で地元の聖歌隊の指揮者を務めるようになります。その後モスクワ音楽院に進みますが、学費が思うままにならず退学処分を受けてしまいます。しかし幸運にも奨学金を得ることができ、モスクワ楽友協会付属学校でファゴットを学びながらアレクサンドル・イリインスキーに作曲を師事します。

 1892年、様々な苦労の末にやっとチャイコフスキーに認められ、マールイ劇場の指揮者に推薦され、モスクワのイタリア歌劇団の指揮者も務めるようになりますが、今度はそれまでの無理がたたり健康状態が悪化し、結核にかかってしまいます。已む無くカリンニコフはクリミア南部での転地療養を余儀なくされますが、このクリミアでの病床で書かれたのが彼の2曲の交響曲です。交響曲第1番はラフマニノフの奔走もあり、モスクワやベルリン、ウィーンやパリで初演され成功を収めますが、彼自身がその初演に立ち会うことはありませんでした。 1901年1月11日、交響曲第1番の出版と35歳の誕生日を目前に控えて、カリンニコフはこの世を去ります。薄倖な天才に合掌。

 今日はカリンニコフの交響曲第1番ト短調の全曲を送りしましょう。演奏はネーメ・ヤルヴィ指揮、ロイヤル・スコッティシュ・ナショナル管弦楽団ですが、ヤルヴィはこの交響曲の構築的な側面と、美しいメロディーの抒情性の双方を見事に融合させた演奏を聞かせています。そういえばトスカニーニやムラヴィンスキー、そしてゲルギエフなどもこの作品を録音していました。それではお楽しみ下さい。







ネーメ・ヤルヴィ指揮
ロイヤル・スコッティシュ・ナショナル管弦楽団
1987年録音

Kalinnikov / Symphony No. 1 in G Minor
Neeme Jarvi (cond)
Royal Scottish National Orchestra




~春爛漫の~ ル・ジュヌ 「春」 Ⅰ

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 1週間のご無沙汰でした!(かつてどこかで聞いたような台詞ですが)時節はすっかり「春」ですね。そこで今回から何回かに分けて、「春」を題材にした作品を紹介していくことにしましょう。第1回目の今日はルネサンスの大作曲家、ル・ジュヌの「春」をお送りします。

 クロード・ル・ジュヌ (Claude Le Jeune, 1528or30 ~1600年 パリ没)は、フランドル楽派の作曲家で、シャンソン、モテトゥス、ミサ等の多くの作品を残していますが、彼はまた、16世紀のフランスの詩人たちのグループ、プレイヤード派 (la Pl?iade)ー古代ギリシャを規範とした詩を創作するグループー の一員でもあり、その生涯をフランスの詩を一新するために捧げた、ジャン=アントワーヌ・ド・バイフ(Jean-Antoine de Ba?f)によって1570年に設立された、「詩と音楽のアカデミー」の中心的な人物としても活躍しました。
 
 1549年、ド・バイフはピエール・ド・ロンサール(1524~85年)、ジョアシャン・ド・ベレ(1522~60年頃)らとともに「フランス語の擁護と顕揚」という小冊子でフランスの詩に対する全く新しい論理を提唱しました。彼らはギリシア語とラテン語の詩を規範とすることで、フランスの詩に新しい韻律をもたらすことー長短の配列を基礎に置いて、多くの音節を使うことによってフランスの詩に独自のリズムを確立していきました。
 
 プレイヤード派は更に「詩=言葉と音楽の統一」=詩と音楽の一体化を図ろうとしていきます。バイブが特に重きを置いたのは古代ギリシアの演劇で使われていた韻律法でした。彼によれば音楽はテキストと全く同じアクセントの位置、音節の長さ、アーティキュレーション、そして「エートス」ー「道徳・こころ」を持っていなければなりませんでした。「アカデミー」の詩と音楽の理想は次のような規約にも明確に表現されていますー「音楽を完璧な状態で使用すること、つまり和声と旋律で作られた歌で言葉を表現し、適切な声、楽器の音、和音を選び、言葉の意味が必要とする効果を生み出すように調整して、心を抑えたり、開いたり、あるいは高めたりすることにある」。
 
 
 音楽に無知な者は、魂が無知で、かつてないほど賞賛されたこの美徳が示す目的に達することができないと考えざるをえない。     
                           ポンテュス・ド・ティヤール  
 
 楽器の演奏がない時、優雅な単声あるいは多声の歌がない詩は決して快くない。 

                             ピエール・ド・ロンサール 
 
 アカデミーに所属した音楽家たちではギョーム・ド・コストレ(1530~1660年)、ジャック・モデュイ(1557~1627年)クロード・ル・ジュヌらが3本柱として活躍しましたが、ジュヌは他の二人の作曲家と共にプレイヤード派の「詩と音楽の統一の理論」を積極的に押し進め、ジャヌカン等の作曲したシャンソンの伝統を受け継ぎながらも、詩の韻律と音楽の一致の理論を実現する音楽様式ー「韻律詩曲(ヴェル・ムジュレ)」ーフランス語の長音を長い音価で、短音を短い音価で表わし、歌詞のアクセントを音の長短で表現する声楽曲ーという歌曲を多く作曲しました。この「ヴェル・ムジュレ」は後の、バロック期にフランス・オペラが成立する淵源になっていきました。
 
 ジュヌは信仰においては生涯ユグノー(フランスの新教徒ーカルヴァン派の信徒)という立場を貫き通したため、カトリック教徒側からの弾圧を受け、1589年には彼の作品が反カトリック的であると看做され、追放同然の状況でパリを離れます。この時命を奪われる寸前でジュヌを救ったのが、同じアカデミーのカトリック教徒の作曲家、ジャック・モデュイでした。しかし翌1590年にアンリⅣ世に音楽家として仕えるようになると、彼は再びパリでの生活を始め、この地で天寿を全うしています。1600年に逝去した折には壮大な葬儀が行われました。
 
 「春 "Le Printemps"」はル・ジュヌが作曲した39曲から成るシャンソン・アンソロジーで、この作品集は1603年にパリでパラール社によって出版されました。出版にあたってはジュヌの妹、セシル・ル・ジュヌが監修に当たり、イングランド、スコットランド、イギリスの王スコットに捧げられました。このアンソロジーは全39曲のシャンソンの内、33曲までが古代ギリシアの韻律音楽の様式を持ち、残りの6曲が伝統的な様式を踏襲していますが、その中の2曲はジャヌカンの名曲「ひばりの歌」と「夜鶯の歌」に第5声部と中間部を加えています。
 
 難しい理論はさて置いて、これら39曲のシャンソンの愛らしく、親しみやすい作風と語り口!誰でもが一度メロディーを耳にしただけでも、すぐに口ずさむことができます!!ジュヌの創作した「ヴェル・ムジュレ」は理論を抜きにしても、十分現在の私たちのこころに直接鳴り響いてきます。「春」はフランス・ルネサンスの残したシャンソンの精華であり魅惑の花園でもあります。オリヴィエ・メシアンは「この作品は音楽史上最も美しいリズムの記念碑のひとつです」とジュヌの「春」に最大限の讚辞を贈っています。
 
 前回は「春」の「冒頭」に置かれた同名曲をパウル・ファン・ネーベル指揮のウェルガス・アンサンブルの演奏でお送りしましたが、今日はスージー・ル・ブランのソプラノ、レ・ヴォワユメールのヴィオラ・ダ・ガンバのデュオ、マティアス・マウテのリコーダー、オリヴィエ・ブローのヴァイオリン他の演奏でお送りします。ここでは底抜けに楽しく屈託のない「春」の模様が再現されています。それではお楽しみください。








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~春や春、春爛漫の~  ドビュッシー 交響組曲「春」 Ⅱ

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 こんにちは、今日の午後は御贔屓の逸品、ドビュッシーによる交響組曲「春」をお送りすることにしましょう。交響組曲「春 "Printemps"」はドビュッシーが20代の若い頃に作曲した作品です。
 
 ドビュッシーは1884年にカンタータ「放蕩息子」を作曲しますが、これが「ローマ大賞」を受賞し、すぐさまローマへの留学が決まります。ドビュッシーは勇んでヴィラ・メディチ(メディチ荘)へと留学をしたものの、後年になって印象派の作風を確立する彼にとっては、ローマ留学が肌には合わず、僅か2年でパリへと舞い戻る羽目になってしまいます。交響組曲「春」はドビュッシーが留学作品としてローマに滞在中に作曲した作品です。(留学作品には他に「ズレイマ」〔現存せず〕、「選ばれた乙女」「ピアノと管弦楽のための幻想曲」がありますが、後の2作品はパリに帰ってから作曲されました)
 
 「春」はボッティチェッリと、絵画のローマ大賞受賞者の2つの作品ー「春」にインスピレーションを受けて1886~1887年にかけて作曲されたといわれていますが、ドビュッシーは1887年の2月にヴィラ・メディチで合唱と2台ピアノ版を完成し、後にパリでオーケストレーションを完成しました。しかし「芸術アカデミー」はこの作品に対し、「管弦楽曲にはふさわしくない嬰ヘ長調」(サン=サーンス)、「漠然とした印象主義」などと酷評し、受理することを拒否します。このあたり、いかにもアカデミックで閉鎖的な作品への評価です!しかし「模糊とした印象主義」を以って、ドビュッシーは音楽史に新しい1頁を切り開いていったのですから、皮肉なものですね。またヴェルディも何度もローマ大賞に挑戦しましたが、遂に大賞を得ることはありませんでした!!
 
 交響組曲「春」の当初の編成は、管弦楽に2台のピアノ、女声合唱が加わるというものでしたが、製本所の火災によってこのスコアが焼失してしまいます。しかし、幸いなことに「合唱と2台ピアノの版」のスコアは焼失を免れ、1904年に出版されています。1912年になってドビュッシーの指示を受けたアンリ・ビュッセルが、当初の合唱も管弦楽で演奏する新しいオーケストレーションを施し、1913年にパリのサル・ガヴォーにおける国民音楽協会の演奏会でルネ・バトンによる指揮で初演されました。
 
 交響組曲「春」は次の急ー緩の2楽章から構成されています。
 
       第1楽章 トレ・モデレ 8分の9拍子 (0:00)
    第2楽章 モデレ 4分の4拍 (11:58)
 
 主題は2つの楽章ともに共通したものですが、8分の9拍子の「トレス・モデレ」の冒頭部分から印象派的な美しい色彩が展開されていきます。またオリエンタルな響きと軽快な躍動感を持つ「モデレ」の輝き!これほどにチャーミングな逸品なのですが、なぜかあまり多くの指揮者に採り上げられてはいない作品でもあります。今日はエミール・ド・クー指揮サンフランシスコ・バレエ管弦楽団の演奏で全曲をお送りしましょう。クーの醸し出す色彩豊かで温かいオーケストラと合唱の音色をお楽しみください。











~春や春、春爛漫の~  エディット・ピアフ 「しあわせ」  Ⅲ

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 こんにちは、今日の午後は、フランスが生んだ不世出のシャンソン歌手、エディット・ピアフ(Edith Piaf,191512月19日 - 1963年10月11日が歌う「しあわせ」をお送りすることにしましょう。

 「しあわせ "Heureuse"」はルネ・ルヅォー (Rene Rouzaud)が作詞をし、マグリット・モノー(Magritte Monot)が作曲をした作品です。モノーといえばピアフの「かわいそうなジャン」や「愛の讃歌」等の作曲も手がけていまが、この作品はどこか温かな「しあわせ」のこころのぬくもりを感じさせてくれる名曲です。
 私が「しあわせ」を初めて聞いたのがオランピア劇場での55年のライブ録音でしたーピアフはパリのオランピア劇場でのライブをいくつか残していますが、その最初の一枚(オランピア劇場初出演)となったのが、55年のライブです。そしてこのオランピア劇場での一連のライブは彼女の名声を決定付けることになりました。1963年、体が衰弱しきっていたピアフはオランピア劇場で最後のライブ公演を行います。死の直前にまで公演に拘った劇場ーいわばオランピア劇場はピアフの歌手としての生命を捧げた劇場でもあったのですね。

 55年ライブLPの冒頭に収められた「しあわせ」を聴きながら、15歳の少年はしきりに「こころの春」を想起したのを今でも憶えています。「しあわせ」に続いて「とうとう春が」、「かわいそうなジャン」、「パダン・パダン」、「愛の讃歌」そして「アコーディオン弾き」とピアフによる極め付けの名唱が次々に登場してくるのですから堪えられません。このライブは彼女の歌の醍醐味が十二分に味わえる見事な公演になっていました。レコードを歌を聞き終えてブックレットを見ると、第一曲には「しあわせ」というタイトルが!少年はここで納得。「しあわせ」=「春」ということでもあるのでしょうか。「しあわせ」の概念は人によって様々なものですが、「しあわせ」=「春」とするなら、どんな人間にも必ず「しあわせ」は訪れて来るはずです。「春」の来ない「四季」はありません!しかしどのような「春」が来るのかは千差万別です。

 すでに「春」が訪れている方は、その春を謳歌し、まだ訪れていない方は、必ず訪れる「春」に夢を膨らませるーいずれにしても「春爛漫」の時節、それぞれの「春」を楽しんでいきたいものですね。それではエディット・ピアフの歌で「しあわせ」をお送りします。お楽しみください。







"Heureuse"

Heureuse comme tout,
Heureuse malgr? tout,
Heureuse, heureuse, heureuse...
Il le faut !
Je le veux !
Mon amour, pour nous deux...


Heureuse d'avoir
Enfin une part
De ciel, d'amour, de joie.
Dans tes yeux,
Dans tes bras,
Heureuse comme tout,
Heureuse n'importe o?
Par toi !


Le meilleur et le pire, nous le partageons.
C'est ce qu'on appelle s'aimer pour de bon,
Mais pour moi, d?sormais le pire
Serait de perdre le meilleur,
D'?tre l? pr?s de toi
Et d'en pleurer de joie.


Heureuse comme tout,
Heureuse malgr? tout,
Heureuse, heureuse, heureuse...
Il le faut !
Je le veux !
Mon amour, pour nous deux...


Heureuse demain
De tout et de rien,
Pourvu que tu sois l?.
Tu verras, tu verras...
Heureuse comme tout,
Heureuse jusqu'au bout
Pour toi...




「しあわせ」

すべてがしあわせ
何があろうとしあわせ
しあわせ、しあわせ、しあわせ
そうあってほしい、そう望んでいる
ああ、恋人よ、私たち二人とも
しあわせ、やっと掴むことができた
空の、愛の、喜びの一部を
あなたの目を見ると
あなたの腕の中で
すべてがしあわせ
どこにいてもしあわせ
あなたのおかげで

一番すてきなことも、一番嫌なことも
二人で分け合いましょう
そういうことを人は
正しく愛し合っているという
これから私にとって一番嫌なことは
一番すてきなものを失うこと、つまり
ここ、あなたのそばにいて
喜びに泣くことができなくなること

すべてがしあわせ
何があろうとしあわせ
しあわせ、しあわせ、しあわせ
そうあってほしい、そう望んでいる
ああ、恋人よ、私たち二人とも
しあわせ、明日も、何につけても
あなたがそこにいれば
分かるでしょう
分かるでしょう
すべてがしあわせ
完全にしあわせ
あなたのおかげで







~春や春、春爛漫の~  コープランド バレエ組曲「アパラチアの春」 Ⅳ (AC復興30)

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 こんにちは。今日の午後はアメリカの大作曲家、コープランドのバレエ組曲「アパラチアの春」をお送りすることにしましょう。
 
 アーロン・コープランド(Aaron Copland, 1900年11月14日~1990年12月2日)は20世紀のアメリカを代表する作曲家の一人ですが、彼の作品はアメリカ民謡を取り入れた親しみやすく分かりやすい、アメリカ独自の音楽と呼べるものでした。コープランドはロシア系のアメリカ人としてニューヨークに生まれますが、若くしてフランスへ留学し、ナディア・ブーランジュやポール・ヴィダルに師事、最初は前衛音楽家としてその名を世界に馳せていきます。1924年に24歳で発表した交響曲第1番は「24歳でこんな作品を発表するのなら、30歳では人殺しもやりかねない」との評まで受けた、極めて前衛的な作曲家でした。 
 しかしその後はそれまでの自身の考えを改め、「音楽は聴かれなければならない」との信念に立ち、ジャズやカントリーといったアメリカに固有の音楽的要素を取り入れた作品ー「ビリー・ザ・キッド」、「ロデオ」などを発表し大衆路線へとその作風を転回していきます。ラテン・アメリカの音楽を取り入れた管弦楽曲「エル・サロン・メヒコ」は彼の傑作として名高いですね。
 
 「アパラチアの春 "Apparachian Spring"」は1943年~44年にかけて作曲されたバレエ音楽でコープランドの作曲した3大バレエー「ビリー・ザ・キッド」(38年)、「ロデオ」(42年)、「アパラチアの春」(44年)-の一つとされています。現在広く演奏されている組曲版は1945年にコープランド自身によって編曲されたものです。
 「アパラチアの春」は、13人編成の室内楽オーケストラのための作品として、ダンサーであり、振り付け師でもあった舞踏団の主催者マーサ・グレアムと、エリザベス・クーリッジ夫人の委嘱により作曲され、1944年にマーサ・グレアムの舞踏団によって初演されました。この時の舞台のセットは、日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチによってデザインされています。またコープランドはこの作品によって1945年のピューリッツァー音楽賞を受賞しています。組曲は8つの部分(楽曲)から構成されますが演奏は続けて行われます。



 1、 非常にゆるやかに Very slow (2,46)
19世紀前半のアパラチアの春、新婚の開拓農民の新居で行われている
結婚式に集った人々に一人ずつスポットライトを当て彼らを音楽で紹介していきます。
 
 2、 速く Fast (3,03)
イ長調の弦楽重奏のアルペジオに導かれて、管弦楽が結婚式に出席した人々の
活気に溢れた気持ちを表現していきます。
 
 3、 中位の速さで Moderao (3,37)
花嫁と花婿のための2重奏。間奏曲風な音楽に乗って二人の睦まじい踊りが展開されます。
 
 4、 速く Fast (3,30)
信仰に覚醒した人々とその信徒たちの踊りの音楽で、
愉快なスクウェアダンス (square dance)風の音楽が始まります。
 
 5、より速く Still faster (4,04)
花嫁のこころー妻となり母となる母性の「驚き」と「懼れ」とを表現した花嫁のソロ・ダンスの音楽で、クラリネットに始まって、次第にクライマックスを迎えていきます。
 
 6、ゆっくりと As at first(slowly) 第1曲のように (1,07)
美しく悠長な音楽によって、第1曲の追想をしながら場面が移行していきます。
 
 7、静かに流れるように Calm and flowing (3,12)
花嫁と農夫である夫の日々の仕事の場面、シェーカー派の主題の変奏曲が5つ登場します。
ソロ・クラリネットにより演奏されるこの主題は、エドワード・D・アンドリュースによって集められ
「The Gift toBe Simple」というタイトルで出版された
本に掲載されたシェーカー派の音楽の中から引用されています。
 
  8、中位の速さで Moderao  コーダ Coda (3,25)
いつも隣人に囲まれている花嫁ですが、最後には夫婦だけが取り残され、
二人は希望に満ちた将来を思い敬虔な祈りを捧げながらバレエは幕を閉じます。
ミュートのかかった弦楽器が、静かな祈りのようなコラールの一説を詠唱し、
冒頭の音楽を追想して静かに音楽も終わりを迎えます。
 
 *7曲と8曲を一緒にして「フィナーレ」とする解説もあります。
  
   
注)1、スクウェアダンス (square dance)ー4組のカップルが1セットになって、コーラー (caller) の指示に従って音楽ーカントリーやブルーグラスのような音楽を伴奏にして踊るダンス。
 
  2、シェーカー(クエーカー)派ークエーカー(Quaker)は、キリスト友会Religious Society of
   Friends)に対する一般的な呼称で、友会は17世紀にイングランドで設立された宗教団体。


 コープランドのこの作品は誰の物真似でもない、彼自身のソノリティによってアメリカの風土ーアパラチア山脈の春を感じさせる逸品ですね。「アパラチアの春」というタイトルはマーサ・グレアムが、ハート・クレインの詩の一節にある「アパラチアの春」を読んで、バレエの内容とは何の関係もなく初演の直前に付けたということですが、コープランドは人々が、「まるでアパラチア山脈の美しさを捉えて作曲をしたかのようだ」と語りかけてくると、しばしば微笑んでいたということです。或いはグレアムはコープランドのこの作品から直感的に「アパラチアの春」の観景を感じ取っていたのかもしれません。
 
 今日はアーロン・コープランド指揮ロンドン交響楽団の自作自演(組曲版・モノラル)で「アパラチアの春」の全曲をお送りしましょう。お楽しみください。尚、バレエ全曲版は14の楽章に分けられ、オーケストラ組曲に入っていない楽曲は第7曲と終曲の間に置かれています。





 


ゴールデンウィークのブルックナー

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  昨日、東京で行われている世界卓球選手権の団体戦を見ていましたが、男子の方は銅メダル!女子はなんと31年ぶりの決勝進出を果たすという素晴らしい結果を出しました。特に今回愛ちゃんが骨折で出場を団念せざるを得ない中で、キャプテンに選ばれた石川佳純(いしかわかすみ)選手の勝利に対する執念と意地は素晴らしいものがありました。ことに2勝1敗で迎えた第4試合で香港の李皓晴選手をフルゲームの末に破った試合は手に汗握る見応えのあるものでした。何にせよ、今与えられた状況を最大限に生かすことー今を命の限り生きていくことの大切さを改めて教えられました。

 さて、今年のゴールデンウィークも残すところあと1日、皆さんはどのような休日を過ごされたのでしょうか。私は時間が取れましたので、以前聞いてそのままになっていた作品や、新しく手に入れたCD、音源などを聞くことができました。その中でも最も大きなものが、ゲオルク・テイントナーとスタニスラフ・スクロヴァチェフスキのブルックナーの交響曲全集です。実はこの音源は随分以前に友人から譲り受けていたのですが、今回ナクソス配信でも聞くことができることに気づきましたので、改めて全てを聞き直してみることに!この両者の対蹠的ともいえるブルックナーの全集はすでに定評があるところですが、ほぼ聴き終えてみて双方ともにやはりブルックナーの演奏家として一家言を持った演奏家の魂の全集だと感心しました。共にブルックナーの音楽の精神に直結しているのは流石です。

 ゲオルク・ティントナーGeorg Tintner,1917年5月22日~1999年10月2日)は1927年、10歳の時、ブルックナーの高弟の一人、フランツ・シャルクによるウィーン少年合唱団のオーディションに合格し、彼の指揮の下でブルックナーのミサ曲等を歌っています。後にウィーン国立音楽アカデミーでピアノと作曲を学びますが、ユダヤ人であったため、ナチスがオーストリアに進駐すると同時に国外退去を余儀なくされます。以後指揮者としてニュージーランド、オーストリア、南アフリカ(南アフリカではアパルト・ヘイトの実情を知り、わずか1年でケープタウン市立管弦楽団の常任指揮者を辞任)、そしてイギリス、オーストリア、カナダなどの世界各地を遍歴する指揮者生活を送ります。1994年そんな中でナクソスの社長クラウス・ハイマンと出会い、ハイマンは彼の演奏を聴いて惚れ込み、すぐさま検討していたナクソスのブルックナー全集の指揮者に決定します。しかしこの時、ティントナーは既に悪性黒色腫(皮膚がん)に罹っていました。ナクソスのブルックナー全集は1998年に無事完成しますが、ティントナーは悪性黒色腫に罹っていることを悲観して1999年10月2日、自ら命を絶ってしまいます。自宅マンションの11階から飛び降り自殺)享年82歳。悲運の名指揮者に合掌!



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 ティントナーの解釈はどこまでもオーソドックスなもので、過剰な表現や過度な演出を一切排除したもの。いわばスコアに書かれた音をそのまま音に再現しようとしたともいえるもので、そこにやや学究的な要素があることも否めません。ここが評価が分かれるところでもあるのでしょう。そのためスコアの版に対する問題にも大きく拘っています。たとえば第2番ではキャラガン版を使用ー2楽章と3楽章が通常の版と入れ替わっていますーまた8番は1887年版(第1稿)を使っていますが、根本を貫く姿勢は終始一貫しています。それはどこまでもスコアに語らせる音楽、スコアを通してのブルックナーの精神の再現といえるものです。現在ティントナーの全集(12CD)が4,000円前後でリリースされていますが、苦難続きだったこの隠れた巨匠の遺言であり、そして最後の栄誉となった全集を、この機会に耳にしてみるのもまた一興かもしれません。


スクロヴァチェフスキ:90歳記念BOX(28枚組) ブルックナー/ベートーヴェン/ブラームス/ベルリオーズ 他


 スクロヴァチェフスキの全集は彼がザールブリュッケン放送交響楽団を指揮したもの。こちらの演奏は極めてロマン色が横溢したもので、彼が名指揮者ーヨッフム、チェリビダッケ、ヴァント、朝比奈の流れを汲むブルックナー指揮者の一人であることを実感させてくれるものです。ことに5番、6番、7番、あたりにが強くこころに残りました。スクロヴァチェフスキの演奏は決してロマン過多な表現になることはなく、どんなにオーケストラを慣らしても、音響の大伽藍に陥らずにブルックナーの精神を忘れることがないあたりはやはり頷かせるところです。また細部にわたって各声部の音が聞き取れるバランス感覚の素晴らしさも魅力です。このブルックナー全集が世界中で彼の名声を高めた全集であることを再認識!使用している版の基本はほぼブルックナー協会が改訂を委嘱したノヴァーク版によっています。ザールブリュッケン放送交響楽団もスクロヴァチェフスキの指揮の下で最善の響きを醸し出しています。なお、スクロヴァチェフスキのブルックナー全集を収めた28枚組のボックスは現在8,000円ほどで手に入れることができます。

 今年はこれからブルックナーの全集を少しずつ聞き直していこうかとも思っています。カラヤン、バレンボイム(シカゴ、ベルリン・フィル2種)、ヴァント(ケルン響)、ロベルト・パーテルノストロ(ヴュルッテンベルク・フィル)またこれと並行してブルックナー・コレクションに収められたブルックナーのあまり聞かれることのない作品群も聞いていくつもりです。

 ここで4月中旬あたりから今回のゴールデンウィークに聞いた演奏と作品を少し挙げておきます。個々の作品や演奏評はまた後日に改めて掲載してみることにしましょう。

ブルックナー交響曲全集
ゲオルク・ティントナー&スコティッシュ・ナショナル管、アイルランド国立響、ニュージーランド響
ブルックナー交響曲全集
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ&ザールブリュッケン放送交響楽団
ヴラド・ペルルミュテール モーツアルトピアノ・ソナタ全集
バリリ弦楽四重奏団 ベートーベン弦楽四重奏全集 Disc1、2、3
カール・シューリヒト&パリ音楽院管弦楽団 ベートーベン交響曲全集
アンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団 ベートーベン交響曲全集
ネーメ・ヤルヴィロイヤル・スコティッシュ・ナショナル・オーケストラ カリンニコフ交響曲第1番・2番
クレンペラー&ケルン放響 ブルックナー交響曲第8番
ベーム&バイエルン放響 ブルックナー交響曲第7番(1977)
ベーム&ウィーン・フィル ブルックナー交響曲第7番(1948)
ヨッフム&バイエルン放響 ブルックナー交響曲第9番(1954)
ケーゲル&ライプツィヒ放響 ブルックナー交響曲第6番(1972)
ルービンシュタイン ショパン マズルカ全集(1938)
マイラ・ヘス&ブルーノ・ワルター モーツアルト ピアノ協奏曲第20番(1956)
ルービンシュタイン&クリップス ベートーベン ピアノ協奏曲全集
ケンプ&ライトナー モーツアルト ピアノ協奏曲選集
ブルックナー 「ゲルマン人の行進」 Robert Shewan指揮ロバーツ・ウェスリアン大学コーラス
ブルックナー 「ヘルゴラント」 アルベルト・ホルド=ガッリード指揮マルメ歌劇場管弦楽団 等々


 最後にブルックナーが最初に出版した作品、「ゲルマン人の行進 "Gemanenzug"」WAB 70をお送りすることにしましょう。ブルックナーは男声合唱のための作品を多く残していますが、この作品はドイツの詩人アウグスト・ジルバーシュタイン(August Silberstein 1827~1900年)の詩をテキストにして、ブルックナーが男声合唱と金管楽器のために1863年~64年にかけて作曲をしたもので、初演は1865年にブルックナー自身の指揮で行われています。奇しくもブルックナーの最後の完成作品「ヘルゴラント」もまた同じジルバーシュタインの詩をテキストにした作品になりました。

 それではRobert Shewan指揮ロバーツ・ウェスリアン大学コーラスとロバーツ・ウェスリアン大学ブラス・アンサンブルの演奏で「ゲルマン人の行進」(8:09)をお届けしましょう。お楽しみください。

注) ブルックナーの作品番号「WAB」は、音楽学者のレナート・グラスベルガー(Renate Grasberger)が編纂した「ブルックナー作品目録」(Werkverzeichnis Anton Bruckner)の番号で、149番まで付けられています。









貴志康一  「竹取物語」   (AC復興31)

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 こんにちは連休最終日の今日は夭逝した日本の天才作曲家、貴志康一のヴァイオリンとピアノのための小品、「竹取物語」をお送りすることにしましょう。

 貴志康一(1909~ 1937年)は、大阪府出身の作曲家であり、指揮者、そしてヴァイオリン奏者でもありました。彼は1909年(明治42年)に大阪市都島区網島町の貴志弥右衛門とカメの間の長男として誕生、父方の弥右衛門の祖父は代々式部卿を務め、また母親カメの実家は有数の豪農で庄屋という恵まれた境遇に生まれています。彼は幼い頃には絵画に傾倒しましたが、甲南中学校に進学した後はヴァイオリニストを目指すようになり、17才の時には甲南中学校を中退してジュネーブ音楽院に留学するためヨーロッパに渡ります。そしてジュネーヴ音楽院を優秀な成績で修了した後は、ベルリン高等音楽学校でカール・フレッシュの教室で作曲と音楽理論を学び、それ以降はヨーロッパを活動の拠点として多くの作品を残しました。この時に作曲を学んだのはパウル・ヒンデミット、そして指揮法を学んだのはあのウィルヘルム・フルトヴェングラー!
 
 貴志康一は3度ヨーロッパに留学していますが、中でも1932~35年のベルリン滞在時には作曲家、指揮者として積極的に音楽活動を展開し、ドイツ・テレフンケンと契約を結んで、19もの自作の作品をベルリン・フィルを指揮して録音しています。この輝かしい経歴を見ただけでも、彼の才能のほどと、当時彼がドイツでどれほど高く評価されていたかが偲ばれますね!
 
 ヴァイオリン奏者でもあった貴志康一は当然のようにヴァイオリン作品も作曲しています。「ヴァイオリン協奏曲」、「ヴァイオリン・ソナタ」二短調、そして10曲あまりのヴァイオリンのための小品。今日紹介する「竹取物語」は形式的には3部形式を基本にした作品で、モデラートの叙情的な美しい主部に続いて、アレグロ・モデラートの日本的な躍動的するメロディーがリズミカルに奏でられ、再びモデラートの主部が再現されて、小結尾を迎えます。貴志康一のヴァイオリン作品の中でも、最も叙情性に溢れた味わい深い1作です。彼の作曲した作品はいわば総てが日本文化の紹介のために書かれたもので、日本の文化=日本人のこころをなんとかして分かってもらおうとした貴志の作曲家としての心意気と煩悶が同時に伝わってくるものです。故湯川秀樹博士が初めて日本人としてノーベル賞を受賞したセレモニーの際に演奏されたのがこの作品でした。
 
 しかしこの作品の持つそこはかとない郷愁は、日本人の心の琴線に触れていきます。連休でお疲れの方にも、一種のヒーリング作用を持っているのではないでしょうか。実はヴィクターエンタテインメントから発売されているCD「竹取物語 貴志康一作品集」に収められた栗まち絵のヴァイオリンと戎洋子のピアノ演奏で「竹取物語」をお送りしようと思っていたのですが、これがアップロードしてみたところ全世界でブロックされていますとの表示が!そこで今日は代わりにマンドリンとマンドロンチェロ(マンドリン属でマンドリンより一回り大きい楽器)の演奏でお送りします。お楽しみください。(残念ながら演奏者は不明です)


注) 冒頭の画像は左ー貴志康一、中央ーフルトヴェングラーで、フルトヴェングラーやヒンデミットと交友を結んだ貴志は彼らとの写真を残しています。










ジョスカン・デ・プレ モテトゥス「御身のみ、奇蹟をなす者」 

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 こんにちは、今日の午後は、ルネサンス時代の大作曲家、ジョスカン・デ・プレの作曲したお気に入りのモテトゥス、「御身のみ、奇蹟をなす者」を紹介することにしましょう。
 
 作曲家のジョスカン・デ・プレJosquin Des Prez; 1440? - 1521年)に関してはこのブログでもすでに幾度も採り上げていますが、彼は盛期ルネサンスを代表する作曲家です。ジョスカンはレオナルド・ダ・ヴィンチが美術の世界で成し遂げたことを音楽の世界で行ったといわれる天才作曲家です。ルネサンスというのは「再生」や「復興」を意味する言葉で、古代ギリシア・ローマの復興を意図した14世紀~16世紀の文化運動の総称ですが、音楽に関しては古代の音楽の復興を目指したというよりも、ルネサンス時代独自の音楽様式を呼ぶものと考えた方が分かりやすいようです。
 
 ジョスカンに代表されるフランドルー旧フランドル伯領を中心とする、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域ー出身の音楽家たち(ヨハネス・オケゲム、ハインリッヒ・イザーク、ジョスカン・デ・プレ、オルランド・デ・ラッソ)は、ポリフォニー(多声音楽)の書法を極限にまで発展させ、全ヨーロッパの音楽様式を決定していきました。彼らのようなフランドル出身の音楽家たちはその出身の地名を取ってフランドル楽派と呼ばれています。かつてはブルゴーニュ楽派(初期ルネサンス音楽の楽派で、15世紀にフランスのブルゴーニュ地方で活躍した作曲家達を指します)とフランドル楽派を合わせてネーデルランド楽派と呼んだこともありましたが現在ではこの名称はあまり使われていません。
 
 モテトゥスというのは13世紀の後半に現れた、最下声部にグレゴリオ聖歌の定旋律を用いて他の声部が定旋律とは異なった歌詞を歌っていく多声の声楽曲でしたが、ジョスカン以後の時代では各声部が均等に模倣していく通模様式による4声~6声部のラテン語による典礼楽曲を指すようになり、これがバッハの合唱曲によるモテトゥスに繋がっていくことになります。
 
 「御身のみ、奇蹟をおこなう者 "Tu solus qui facis mirabilia"」は4声部による受難のモテトゥスです。全曲は2部から構成され、第1部はジョスカン自身のミサ「ミサ・ダン・オトゥル・アメール」のベネディクトゥスの部分にも用いられています。この作品は当時の一般的なモテトゥスの書法であったポリフォニー様式というよりは、イタリア風の和声様式によるホモフォニーの様式で書かれ、第1部では僅かなポリフォニックな部分を除いて、他はフェルマータで区切られたホモフォニーの楽句が続き、第2部でも最初の2行の歌詞がポリフォニックに書かれているだけです。しかしジョスカンによって書かれたホモフォニックなこの作品は、孤高なまでの荘厳さと気高さを湛えた美しいモテトゥスの逸品です。私が最初にこの作品を聴いたのが高校1年生のころ、ジョスカンの作り出した荘厳な和声的響きの世界に耽溺したのを覚えています。
 
 今日はジョスカンによるモテトゥス、「御身のみ、奇蹟をおこなう者」をブルーノ・ターナー指揮のプロ・カンツィオーネ・アンティクァによる素晴らしい歌声でお送りします。お楽しみください。





               *You Tubeで見るをクリックして鑑賞してください*

 
 
「御身のみ、奇蹟をおこなう者」
 
御身のみ、奇蹟をなす者、
御身のみ、われらを造りたまいし創造主
御身のみ、いと気高き御身の血によりて、
われらをあがない給いし救い主なり。
 
御身に対してのみ、われらはのがれ、
御身についてのみ、われらは信頼し、
他の人をあがめることなし、イエズス・キリストよ。
御身に対し、われら祈りをささげ、
われらの嘆願せるもの、聞き入れたまえ、
われらの願望せるもの、認めたまえ、恵み深き王よ。
 
(第1部)
 
他の苦しみありしかば、偽りわれにありけん、
他の苦しみありしかば、大いなる愚昧と罪ありけん。
われらの嘆息を聞きたまえ、
御身の愛でわれらを満たしたまえ。
ああ、王の中の王よ、
御身はしためにまで
喜びもて永遠に
われら立たん。
 
(第2部)
 
 
  
 
 
 
ジョスカン・デ・プレ「モテトゥス名曲集」
 
1、モテトゥス「祝されたり、天の女王」(6声)
2、モテトゥス「御身のみ、奇蹟をなす者」(4声)
3、モテトゥス「主は王となり」(4声)
4、モテトゥス「アヴェ・マリア」(4声)
5、モテトゥス「神よ、われをあわれみたまえ」(5声)
6、モテトゥス「けがれなく罪なく、貞節なマリア」(5声)
 
テルツ少年合唱団
プロ・カンティオーネ・アンティカ
コレギウム・アウレウム合奏団
ハンブルク古楽合奏団員
指揮:ブルーノ・ターナー
 
1972年6月、フッガー城内、キルハイム教区教会(ドイツ)



おはようございます。ご無沙汰いたしました!

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 おはようございます。個人的な事情で1ヶ月ほどブログの更新を中断してしまいました。突然の中断で驚かれた方もいたことでしょうね。申し訳ありませんでした。その間にはFIFAワールドカップも開催され、開催国のブラジルはオープン戦で勝利をあげましたね。そして今日はいよいよ日本の初戦、日本×コートジボアール戦が後1時間少々で始まります!日本は一体どのような戦いを見せてくれるのでしょうか。大いに楽しみにして日本代表チームを応援しましょう。頑張れ日本!!

 さて、ブログの更新ですが、こちらはこれからも続けていく予定です。更新の頻度は少なくなるかもしれませんが、せっかく7年も続けてきたブログです、それにまだまだ紹介しきれない音楽や演奏が山ほど残ってもいます。御贔屓にしていただいた方々には、これまで同様にこのブログをよろしくお願いいたします。

 今日はワールドカップ開催にちなんで、開催国ブラジルの生んだ音楽「ボサ・ノヴァ Bossa Nova」のお気に入りの一曲ー「サマー・サンバ Summer Samba」(英語でのタイトルは"So, Nice")をお送りすることにしましょう。

 同じブラジルの生んだ音楽、「サンバ」がブラジル人の人間としての生命の情熱の迸りを感じさせてくれるのに対し、「ボサ・ノヴァ」はどこかクールで洗練されたサウンドと独特のリズムが特徴的で、生みの親とも呼ばれるアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した「イパネマの娘」はあまりにも有名なボサ・ノヴァの名曲ですね。これから紹介する「サマー・サンバ」はマルコス・ヴァーリが1966年に作曲をした作品で、ポルトガル語の歌詞はヴァーリの兄、パウロ・セルジオ・ヴァーリが作詞しました。ジョビンのどこかクールで時にはある種の寂寥をも感じさせる作品に対し、この作品はおおらかで温かい透明感に溢れた逸品です。後にノーマン・ギンベル(「やさしく歌って」、「イパネマの娘・英詞」、「ラスト・アメリカン・ヒーローのテーマ」等)が"So、Nice"というタイトルの英語の歌詞を付け、アストラッド・ジルベルト等がカヴァー・ヴァージョンを出しました。今朝はこの作品が当初ヒットを記録したワルター・ワンダレイのオルガン、そして「ボサ・ノヴァ」の名歌手の一人ワンダ・サーのヴォーカル、最後にアンディ・ウィリアムスとナンシー・エイムスのデュエットで「サマー・サンバ」をお送りします。お楽しみください。










                   (You Tube で見るをクリックしてご覧になってください)




ケンペ&チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 ブルックナー交響曲第8番

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 今晩は、最近ブルックナーの交響曲第8番でオットー・クレンペラー指揮ケルン放送交響楽団(57年録音 モノラル)とハイティンク指揮RCO(2007年・ノヴァーク版 非正規盤)という素晴らしい演奏に巡り合うことができました。ブルックナーの交響曲の名演奏に出会う時は、常に自己の人生の回帰へと繋がっていきます。過去の忸怩たる思いと現在の自己との対峙、そして生命に刻まれた思いと、過去と現在の時間と空間との収斂によって生まれる新たなる人生への出立。勿論音楽といものは多かれ少なかれ、このような要素を持ってはいるものですが、殊ブルックナーの交響曲の名演は、このことを深く認識させてくれます。今夜は7年ほど前に初投稿したルドルフ・ケンペ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏によるブルックナーの交響曲第8番ハ短調を再び投稿することにしましょう。

 その他にも多くのブルックナーの交響曲の名演に触れることができました。ボッシュ&アーヘン響交響曲全集、ベーム&ウィーン(48年)、同じくベーム&バイエルン響(77年)の交響曲第7番、ヤニック・ネゼ=セガンの交響曲選集等々、また宗教曲では「ミサ・ソレニムス」、「ミサ曲ハ長調」等、これら個々の演奏についての紹介は暫時、少しずつアップして行こうと思っています。


 私が学生の頃には、まだクラシック喫茶という学生にとっては非常にありがたい喫茶店が多く残っていました。時間があってもお金はないという音楽好きの学生にとって、一杯の珈琲で何時間も音楽を聴ける喫茶店は本当に重宝するものでした。時には友人と誘い合って、また時には一人で、よく音楽を聴きに行ったものです。もちろん今でもクラシック喫茶はありますが、私の学生時代にはごく普通に駅前や繁華街の中に必ず何件かを見つけることができたものです。
 
 当時、早稲田の界隈には「あらえびす」と「らんぶる」という2つのクラッシック喫茶店がありました。
「あらえびす」は2階席のある広いスペースを持ち、「らんぶる」はご夫婦が経営している座席25ほどのこじんまりとしたお店でした。2件ともに足しげく通ったものです。時には2件のはしごをしたこともありました!(両方と閉店してもう随分時が経ってしまいましたが)
 
 「らんぶる」のリクエスト帳に、ケンペ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のブルックナーの交響曲第8番を見つけた時のことは忘れられません。喜び勇んで早速リクエストをしようと思いましたが、何分この8番は大曲で、クラッシック喫茶で一度に全曲を聴き通すわけにはいきません。そこで先ずはその日に1楽章と2楽章をリクエストして聴き、次の日にまた行って3楽章と4楽章をリクエストして全曲を聴き終えました。当時はこのLPの価格が高く、学生の身分ではなかなか手を出すことが出来ませんでした。(現在ではCDを所有しています)
 
 第1楽章、ブルックナー開始。冒頭の弦のトレモロに続いて、第1主題が徐に演奏されます。全曲を支配する創造のモチーフ、ケンペはこの演奏の素晴らしさを暗示するような重い、曖昧模糊としたソノリティで主題を提示します。それに続くやや明るい第2主題、この温かみを感じる第2主題の叙情性のある響き!そして第3主題、繰り返されていく下降音階をケンペはどこまでも荘重に、また慈しむように奏でていきます。続いて演奏される壮大な展開部の息を飲む凄まじさ!!更にはその後の再現部の見事さ。1楽章~4楽章に到るまで全く弛むことのない滔々とした流れで、ケンペがブルックナーのスコアを悠久の音楽へど再創造していく様は壮観としかいいようのないものでした。当に本物のブルックナーの響!ケンペの持つドイツ精神がブルックナーの精神と一体化して成し得た稀有の名演奏でした。その全曲の構造の捉え方の上手さは彼の天賦のものでしょう。トーンハレ管弦楽団もケンペの指揮に十二分に応えていました。





 
 これに先立ってケンペの指揮するトーンハレとの「運命」を手に入れて聞いていましたが、こちらにも大きな感銘を受けました。そのどこまでもオーソドックスなケンペの解釈、構成をしっかりと見据え、ベートーベンのスコアに正面から切り込むような彼の音楽は、もう既に巨匠の領域に入っていました。

 LPの当時は第5番1曲で、たっぷりとしたカッティングで発売され、音質も非常に優れたものでした。
学生時代に気分が滅入った時には、このLPを取り出して良く取り出して聴いたものです。
友人から聞いた話では、トーンハレが本拠地として使用するホールは世界でも折り紙付きの素晴らしい音響のホールだということで、ミュンへン・フィルとのベートーベンの交響曲全集とは全く違った印象を受ける、たっぷりとした残響の余韻に満ち溢れた演奏でした。特に終楽章の圧倒的なファンファーレは絶品でした!
 
 しかし、残念なことに私がこれらの演奏を聴いた時には、ケンペは既にこの世の人ではありませんでした。これらのLPはいずれの演奏もケンペの追悼盤として、彼の死後に発売されたものです。享年66歳。指揮者としてはまだまだこれからという時の突然の死でした。つくづく彼の早い死が惜しまれます。
ところでブルックナーの交響曲第8番の演奏で感動するのはなかなか難しいものです。それだけブルックナーの持つ壮大な迄の精神世界がこの交響曲の中で展開されているということでしょうか。
 
 ブルックナーの交響曲を演奏する際に忘れてはいけないのは、彼の持つ信仰です。彼にとって音楽を作曲することはバッハのように「神」に奉仕することであり、自らの使命を果すことでした。
そして自らが知ってか知らずか、彼はその作品の中で、「神」=「宇宙の法則」を音として表現する道を歩いて行くことになりました。彼の交響曲第8番はその典型でしょう。
 
 さて、仏教では宇宙の生成を四劫(しこう)、「成劫(じょうごう)」「住劫(じゅうごう)」「壊劫(えごう)」「空劫(くうごう)」と捉えます。これをブルックナーの第8交響曲の各楽章に当て嵌めてみましょう。 
 第1楽章、「成」これは宇宙が誕生する時です。第2楽章、「住」誕生した宇宙は膨張し成長します。
第3楽章、第4楽章「壊」と「空」。「壊」、次第に宇宙が収縮し壊滅してゆき、「空」壊滅した宇宙は(「空」という)妙伏した状態になり、また新たな誕生の時を待ちます。このように考えてみるとこの交響曲は宇宙の創世、壊滅の音像化ともいうことが出来ます。ブルックナーはそこに「神」の存在を見ました。
 
 次に宇宙を人間に置き換えて考えてみましょう。第1楽章・「誕生」(幼年期)、第2楽章・「成長」(青年期)、第3楽章、第4楽章・「円熟」(壮年期)、「衰退」(老年期)。こう考えてみるとこの作品は「神」や宇宙の法則だけではなく、人間の一生までもを音に描いていると考えることができますね。私はこの作品を聴くたびに「神」、「宇宙」、「人間」そして「信仰」のことを脳裏に思い浮かべてしまいます。
 
 ブルックナーの演奏は「信仰」という一点を除いてしまうと、ただの音響の大伽藍になってしまう可能性を秘めています。マーラーの演奏とは異なる所以ですね。ブルックナーばかりは、いくらスコアの音符だけを追究しても、音楽=演奏としては成立することが難しい訳ですね。彼の作品の演奏ではスコアの背後にあるもの、音楽の彼方にあるもの、これが大きな意味を持ってくることになります。
 
 「信仰」、「神」、「宇宙の法則」、強靭なまでのドイツの音楽精神=ドイツ人魂。これらのあらゆる要素を満たし、それを演奏で表現することができたのがケンペとトーンハレ管弦楽団とのブルックナーの8番の演奏でした。魂魄のブルックナー、この演奏はそんな表現がぴったりとくるケンペの残してくれた遺言です。ブルックナ・ーファンでまだお聞きになっていない方は、是非全曲をお聞きになってみられてはいかがでしょうか。

ところで、最近聴いて感動したブルックナーの8番に、ヴァント指揮ミュンヘンフィルの演奏(2000年)がありましたが、ヴァントはケンペとは対極的なアプローチー細部のディティールを積み重ねることで巨大な伽藍を築き上げ、作品の構造を明らかにした演奏で、ブルックナーの持つ別の側面を聞かせてくれました。またコンヴィチュニー指揮ベルリン放送交響楽団(59年・モノラル録音)の演奏もモノラル録音ながらこの巨匠の指揮芸術の真髄を伝えてくれる名演奏でした。
 
 それから数年前にオルフェオから正規盤として発売されたカイルベルト指揮ケルン放送交響楽団(66年)も作品の構造を鷲掴みにしてブルックナーの精神に肉迫した魂魄の演奏で、カイルベルトの残した最良の遺産の一つです。もう一枚挙げるならば最近発売されたチェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(90年東京ライブ)、これはNHKで放送されたものをビデオに録画して何度も聞いた演奏ですが、晩年のチェリビダッケの遅い悠揚迫らざるテンポとその格調の高いソノリティの風貌に圧倒されるような名演奏でした。そうそう、ブーレーズ指揮ウィーン・フィルの名演もありました!皆さんは誰の演奏を好んでいますか?(さらに冒頭に書いたクレンペラー&ケルン響、ボッシュ&アーヘン響、ハイティンク&RCO等の演奏がこれに加わることになりました)
 
 今日は最後にケンペ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏でブルックナーの交響曲第8番ハ短調WAB 108(1887, 1890年ハース版)の全曲を紹介しますので、お楽しみください。


Symphony No. 8 in C Minor, WAB 108 
(ed. R. Haas from 1887 and 1890 versions)
    録音: 12-13 November 1971, Tonhalle Zurich Studio, Switzerland
    1. Allegro moderato 16:14
    2. Scherzo: Allegro moderato - Langsam 14:10
    3. Adagio: Feierlich langsam, doch nicht schleppend   27:40
    4. Finale: Feierlich, nicht schnell   23:44






       




    「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の頃

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    こんにちは、お盆の季節にはまだ少し早いようですが、今日は「盂蘭盆会(お盆)」と「施餓鬼会(せがきえ)」の由来についてかつて書いた文章を再投稿してみることにしましょう。

    お盆(盂蘭盆会)の語源はサンスクリット語の「ウランバナ」で、これはさかさまに吊り下げる苦しみを表しているそうです。またその由来は中国で成立した『仏説盂蘭盆会経(ぶっせつうらぼんえきょう)』だといわれています。このお経には次のように説かれています。

    釈迦の十大弟子の一人で神通第一とされる目蓮が、自分の神通力で死んだ母親の姿を見てみると、餓鬼道に堕ちて苦しんでいました。驚いた目蓮はあわてて食べ物を鉢に入れて渡しますが、母親が食べ物を口に持っていくとそれが火に変わってしまい食べることができません。餓鬼の世界はこのように食べることも水を飲むことも出来ないとても苦しい世界です。

    目蓮はなんとかして母親を救いたいと思い、お釈迦様に助けを求めます。お釈迦さまは「お前の母親は生前人に施しをしない、自分勝手な人間だった。だから餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのだ。もはやお前の神通力では救うことは出来ない。それを救うのには多くの出家した者を集め布施を施すことが必要だ」といいました。そこで目蓮は7月15日に仏弟子を集め、彼らの総てに布施を与えて母の追善供養を行いました。するとその供養のおかげで目蓮の母は食べ物を口にすることが出来、餓鬼道を逃れて天上界へ昇ることが出来たということです。

    また「施餓鬼会」の由来は、『救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ばつえんくがきだらにきょう)』だといわれています。

    釈尊の十大弟子の一人である、阿難(あなん)が、瞑想している時、焔口(えんく)という餓鬼が現われて「三日後に、お前の命は尽きて私と同じような餓鬼となるだろう」といいます。驚いた阿難は「どうすれば餓鬼道に堕ちなくてすむのか」と焔口餓鬼に訊くと、「あらゆる餓鬼と婆羅門(修行僧)に対して飲食を施し、三宝(仏・法・僧)を供養すればお前の寿命は延び、この難を脱することができるだろう」と答えます。

    しかし財力のない阿難は自分の力ではどうすることも出来ずに、お釈迦様に助けを求めます。お釈迦様は「恐れることはない。観世音菩薩から、一つのありがたい秘呪を授かっている。一器の食物を供え、この『加持飲食陀羅尼』(かじおんじきだらに)を唱えればその食べ物は無量の食物となり、総ての餓鬼、婆羅門に飲食を施して、三宝を供養することが出来るだろう」と言います。そこで阿難は言われたとおりに一器の食物を供え、経を唱えると三宝を供養することができ、餓鬼道の難を逃れることが出来たということです。

    「盂蘭盆会」と「施餓鬼会」は今では余り区別されずに使われているようですが、お盆は一般的に七月十三日から十五日、あるいは 八月十三日から十五日に行われるとされ、「施餓鬼会」には特定の期間は設けられていません。このように本来は「盂蘭盆会」と「施餓鬼会」は別のものであったのですが、最近ではお盆の季節に「施餓鬼会」を行うところも増えて来ているようですね。

    ところで、「盂蘭盆会」にも「施餓鬼会」にも共通しているのは「施しのこころ」が大きく関与しているところですね。経文に説かれている「神通力」や「秘呪」はあくまでも比喩であって、これは供養する真心の大きさや、他人を思いやるこころの広さ、そして信仰の深さを表しています。
    「施しのこころ」とは、言い換えれば「人を思いやるこころ」のことでしょうね。仏教ではこのこころを「慈悲」と呼びます。こうしてみると、お盆という行事は決して死んだ人々を供養することだけが目的なのではなく、生きている私たちが改めて人への思いやり=「慈悲のこころ」を考えていく行事でもあるわけなんですね!「お盆」は換言すれば生きている私たちが、命の共生を改めて認識する行事でもあるわけです!!

    私の父は7年前に癌で亡くなりました。癌であるのに全く苦しまずに息を引き取りました

    その父が死んでちょうど一周忌を迎えようとしていた或る夜、なんだか寝苦しさを覚えてなかなか寝付けないことがありました。それでもうとうととしかけていた時、何かがしきりに右手を引っ張っているのを感じました。(勿論実際に引っ張られているわけではなく、そんな感覚を受けただけですが)何だろうと訝しく思っていると或る声が聞こえてきました。確かに聞き覚えのある声です。その声は「ありがとう。ありがとう。」と繰り返していました。

    もう間違いありません、それは紛れもなく父の声でした。(これも実際に聞いたわけではなく、心の中に聞こえてきた声です)起きてからは茫然として、しきりに涙が流れて来たのを覚えています。
    霊というものが存在するのかどうかということは私には説明することができませんが、しかし存命中であっても、また既に死んでしまっているとしても、親というのは私たちをしっかりと見守ってくれているようです。

    今でも父のことを思うたびに、父の分までも自分と人を大切にして生きていかなければと自らに言い聞かせているこの頃です。


    今日は最後に夏川りみの「涙そうそう」をお送りしましょう。死んだ人々でさえ、生きている私たちを生きさせようとして強く守ってくれています。私たちはこのことを胸に、日々精一杯生きていかなければならないはずなのですね。それではお楽しみください。





            (You Tubeの表示をクリックして鑑賞してください)




    「涙そうそう」

    作詞:森山良子 
    作曲:BEGIN

    古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
    いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
    晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
    想い出遠くあせても
    おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう

    一番星に祈る それが私のくせになり
    夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
    悲しみにも 喜びにも おもうあの笑顔
    あなたの場所から私が
    見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく

    晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
    想い出遠くあせても
    さみしくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
    会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう





    船幽霊

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     テレビ東京で日曜日の朝9:00から「ふるさと再生 日本の昔ばなし」というアニメーションが放映されています。あのTBSの長寿番組「まんが日本昔ばなし」が放送終了になって、久しく、テレビでは日本の昔話のアニメーションはもう放映されることがないのだろうかと残念に思っていたところ、突如2年ほど前から番組がスタートしました。

     放映当初の頃は「まんが日本昔ばなし」と重複する話も多く、映像処理もかつての映像があまりに色濃く残っているので、ややマンネリズムのアニメーションかなと思っていましたが、最近はさすがに独自の色彩を出してきました。「まんが日本昔ばなし」は毎回2話完結でしたが、こちらの方は3話完結でややスピーディな展開を見せます。語りは柄本明と松金よね子が担当しています。

     13日の日曜日にこの「日本の昔ばなし」で「幽霊のひしゃく」という話をみました。タイトルを聞いただけで、「船幽霊」の物語ー海難事故や海戦で死んだ人々幽霊となってひしゃくを求め、ひしゃくを手に入れると船に海水を汲みいれて沈めてしまうーだとわかりますが、今回の話は最後の結末が非常に興味のあるものになっていました。

     ・・・遠い国で戦争が始まり、商人たちはお金儲けのためにこぞって戦地へと武器を船で輸送し始めました。…ある満月の夜、一人の船乗りが見張りを続けていると、急にあたりが暗くなり、どこからともなく「ひしゃくをくれ~、ひしゃくをくれ~」というぞっと寒気のするような声が聞こえてきました。その地獄の底から湧き出てくるような声に、見張りの船乗りは怖くなって思わずひしゃくを海に投げ入れてしまいます。すると次の瞬間、ひしゃくを持った腕がみるみる増えていき、無数の腕は絶え間なく海水を甲板の中に注ぎ始めました。・・・これでは船が沈んでしまう!「武器を海に捨てろ!」船長のこの一言で、船乗りたちは刀や槍、大砲や火薬、鉄砲といった武器を皆、海の中に投げ入れていきました。すると不思議なことに無数の腕はぴたりと海水を掬うのをやめて、海の中へ消えていきました・・・。

     「船幽霊」から船を守るには、通常底のないひしゃくを渡したり、おにぎりを海に投げたり、海水を掻き回したりするとよいとされています。また海にものを投げ込むとよいと考えるものもありますが、今回の昔話では、「積荷を海に捨てる」=「武器を海に捨てる」ことで船が助かることになります。つまり武者の亡霊たち=船幽霊がこれから起こる戦争で再び多くの命が失われることを悲しみ、回避させたということですね!様々な昔ばなしを読んでも、船幽霊が戦争を回避させるというエピソードにはついぞ今まで出会ってはいません。つまり、昔話も常に進化しているということになりますね!!

     昔ばなしでさえ、絶え間なく良い方向へと進化しているというのに、昨今の政治状況を見てみると、記者会見で大泣きをしてわがまま放題を通す議員がいるかと思えば、議会で女性蔑視の野次を飛ばす議員がいたり、「集団的自衛権」ー互いに助け合うグループを作り、その仲間が他国から攻撃されたら、自国が攻撃されたと同じに考え、仲間と一緒になって攻撃してきた国と戦う権利の行使を認める法案が纏まったりと、なんだかきなくさく「退化」と言われても仕方のない方向へと動いているようです。政治家たちにも戦争を回避させる「船幽霊」が必要なのでしょうか。

     今日は最後にフォーククルセダーズのヒット曲「戦争は知らない」を送りすることにしましょう。お楽しみください。







    「戦争は知らない」

    【作詞】寺山修司
    【作曲】加藤ヒロシ

    野に咲く花の名前は知らない
    だけども野に咲く花が好き
    ぼうしにいっぱいつみゆけば
    なぜか涙が 涙が出るの

    戦争の日を何も知らない
    だけど私に父はいない
    父を想えば あヽ荒野に
    赤い夕陽が夕陽が沈む

    いくさで死んだ悲しい父さん
    私はあなたの娘です
    二十年後のこの故郷で
    明日お嫁にお嫁に行くの

    見ていて下さいはるかな父さん
    いわし雲とぶ空の下
    いくさ知らずに二十才になって
    嫁いで母に母になるの
     


    トーマス・クヴァストホフの歌声

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     冒頭に紹介したのはドイツのバス・バリトン歌手であるトーマス・クヴァストホフの歌うマーラーの歌曲「さすらう若人の歌」からの第1曲、「恋人の婚礼の時」です。(ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団)ビロードのような美しい歌声と知性的な解釈、そして何よりもその声に宿っている温かな人間のこころのぬくもり!知情意の総てを兼ね備えた名唱です。実は私がクヴァストホフの歌を好んで聞くようになったのは最近のことで、彼の歌う「冬の旅」を耳にしてからです。一聴するや否やクヴァストホフの温かなバス・バリトンの声に魅了されました。彼の素晴らしい歌声から皆さんはどのような人物像をこころに描いているのでしょうか。

     トーマス・クヴァストフ(1959年~)は西ドイツのヒルデスハイムに生まれましたが、妊娠をした母親が制吐剤として「サリドマイド」を服用したため、生まれながらにして重度の障害を背負っていく宿命になりました。彼の身長は134センチ、足は長管骨に影響が出て短く形成され、アザラシ肢症により手も短くなっています。しかしこのような肉体的なハンディにもかかわらず音楽に情熱を注ぎ、17歳のころからは個人的に声楽の勉強を始め、ついにハノーファ音楽院への進学を決めます!しかし音楽院側は彼がピアノを弾くことができないという理由で入学を許可しませんでした。音楽を勉強するには必ずしもピアノを弾くことが不可避な条件ではありません。ピアノが弾けなければ他の楽器を演奏すればよいのすし、また楽器を弾くことができない場合、CDやDVD等で音楽を体で憶えていけばよいというように方法は様々です。

     入学を拒否されたクヴァストフはハノーファ大学へ進学し3年間法律を学びます。卒業後は北ドイツ放送に入社しラジオのアナウンサーを務めたり、音声を担当したりしていました。クヴァストフが音楽活動を正式に始めたのは1984年で、ヴュルツブルクブラチスラヴァでのコンクールに入賞、のち86年にはドイツ公共放送連盟(ARD)主催のミュンヘン国際音楽コンクール声楽(バリトン)部門に出場して見事優勝を果たします。この時の審査員であったディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウに激賞され、歌手としてのキャリアを歩み始めました。以後オペラ、歌曲、宗教曲等の多くのレパートリーを持
    ち、世界を舞台にして活躍、1995年にはヘルムート・リリングの招きでオレゴン・バッハ音楽祭に出演して、アメリカへのデビューを果たしています。また2006年にはピーター・アースキンおよびチャック・ローブらとセッションを組んで、「ドイツ・グラモフォン」から "The Jazz Album: Watch What Happens"というタイトルのアルバムをリリースしました。

     このようにグローバルでクロスオーヴァー的な活躍をしていたクヴァストホフですが、2011年に喉頭炎を患い、2012年には健康上の理由でー 「自分の健康状態が、自己の持つ高い芸術水準を維持するには無理が生じた」ー歌手生活から引退すると発表。「新しい人生への挑戦が楽しみである」ことを述べて、第1線から退きました。
     クヴァストホフはある番組で「歌に関しては障害と一緒に評価されたくない、一人の歌手として評価されたい、自分はそれを求められるだけのレベルに達している」と述べことがありますが、この言葉からは同時に彼が障害によってどれほど差別を受けてきたか、また障害を克服するためにどれほどの精神的、肉体的な鍛錬を積まなければならなかったかを知ることができます。

     バリトンといえば20世紀の名バリトンであったディートリー・フィッシャー=ディースカウの功績を忘れることはできません。ディースカウはその技巧と知性の限りを尽くした解釈の結果、人間性というここころの温もりを犠牲にしてしまいましたが、クヴァストホフは技巧と知性の限りを尽くしても、人間のこころの温もりを失うことがありませんでした。それは彼が障害故の差別と闘って生きてきた人生の歩みー差別されても、差別されても相手を許し前向きに突き進むーに深く裏打ちされているようです。

     さて今日は最後にトーマス・クヴァストホフの歌とダニエル・バレンボイムのピアノでシューベルトの「冬の旅」から第5曲「菩提樹」をお送りします。お楽しみください。






                      Der Lindenbaum (菩提樹)



      
    Am Brunnen vor dem Tore,市門の前の 泉の側、
    Da steht ein Lindenbaum,そこに一本の菩提樹が立っている。
    Ich tr?umt' in seinem Schatten僕はその木陰で見たものだった、
    So manchen s??en Traum.とてもたくさんの甘い夢を。

     
    Ich schnitt in seine Rinde僕はその皮に刻み込んだ
    So manches liebe Wort;とてもたくさんの愛の言葉を。
    Es zog in Freud' und Leide嬉しい時も悲しい時も
    Zu ihm mich immer fort.僕はいつもその樹に惹かれていった。

     
    Ich mu?t' auch heute wandern僕は今日も木の側を通って
    Vorbei in tiefer Nacht,真夜中に旅立たなければならなかった。
    Da hab' ich noch im Dunkelnその時、僕は真っ暗闇にもかかわらず
    Die Augen zugemacht.目を閉じてみた。

     
    Und seine Zweige rauschten,するとその枝たちがざわめいた、
    Als riefen sie mir zu:まるで僕に呼びかけるように。
    Komm her zu mir, Geselle,「こっちへ来なさい、友よ、
    Hier findst du deine Ruh'.ここに あなたの安らぎがあります」

     
    Die kalten Winde bliesen冷たい風が僕の顔に向かって
    Mir grad' ins Angesicht,正面から吹いてきた。
    Der Hut flog mir vom Kopfe,帽子が僕の頭から飛んでいっても、
    Ich wendete mich nicht.僕は 振り返りはしなかった。

     
    Nun bin ich manche Stundeいま 僕は何時間も
    Entfernt von jenem Ort,あの場所から離れたはず。
    Und immer h?r' ich's rauschen:けれど僕にはずっと ざわめきが聞こえたままだ
    Du f?ndest Ruhe dort!「あなたはここで安らぎを得られたのに!」



    ラジオ深夜便の楽しみ

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     こんにちは、仕事柄朝が早いので、朝目覚めるとまずラジオを聴きます。以前はテレビを付けていましたが、現在ではよほど気になる番組がある時のみで、それに代わって登場したのが深夜のラジオ番組です。といっても「オールナイトニッポン」などの番組を聞いていたのはもう遠い学生時代の話!今ではすっかりNHKの「ラジオ深夜便」に嵌っています。中でも2時台の「ロマンティック・コンサート」と、3時台の「にっぽんの歌こころの歌」はお気に入りです。「にっぽんの歌こころの歌」の方はアーティストや特集によって選択をしますが、「ロマンティック・コンサート」の方は月曜~金曜日までほぼ毎日聞いてるという状況です。

     「ロマンティック・コンサート」は、採りあげる音楽のジャンルの幅の広さが大きな魅力です。クラシックの小品を扱うかと思えば、ジャズ・ジャイアントの名演、ロック史上に名を遺したグループや歌手、ソウルにレゲエ、そしてオールディーズにクロスオーヴァーとおよそ洋楽のあらゆるジャンルを網羅しています。学生の頃から親しんできたアーティストがいるかと思えば、初めて聞くアーティストも、御贔屓のアーティストの知らない作品に出会ったり、初めて聞くアーティストの音楽に感動することができた時にはやはり音楽を聴いてきて良かったとしみじみ思ってしまいます。

     最近この番組で二人のアーティストの音楽に感動を受けましたーマーヴィン・ゲイとボブ・マーリー。この二人は言わずと知れたニューソウルとレゲエで巨大な足跡を残した世界的なアーティストですね!勿論彼らの名前と幾つかの作品は知っていましたが、「ロマンティック・コンサート」で特集された二人の作品ーマーヴィン・ゲイ:アルバム「ホワッツ・ゴーイング・オン」、ボブ・マーリ:アルバム「キャッチ・ア・ファイヤー」ーを聞いて甚く感銘を受けました。この2枚のアルバムはまた二人にとっても重要な転機になったものです。

     「ホワッツ・ゴーイング・オン」はそれまでナット・キング・コールばりのエヴァー・グリーンのアルバムやラブ・ソングをリリースしていたマーヴィン・ゲイが、ベトナム戦争から帰還した弟から悲惨な戦場の話を聞いて、これまでとは方向を180度転回して「ベトナム戦争反対」や「公民権運動」といった社会問題をテーマにして制作したアルバムで、71年ーベトナム戦争が行われている最中に制作されました。当初モータウン・レコードは「問題あり」としてこのアルバムをリリースしようとはしませんでしたが、マーヴィンの強い意思もあり、結果として「ホワッツ・ゴーイング・オン」はモータウン・レコードからリリースされることになり、彼の名を一躍世界的なものにする大ヒットになります。マーヴィンの甘い歌声、そして完璧なまでのアレンジとサウンド、加えるにそのテーマの大きさ!このアルバムは現在でも彼の最高傑作としての地位を不動のものにしています。これ1作でマーヴィンは「ニューソウル」というジャンルを確立することになりました。






     「キャッチ・ア・ファイアー」はボブ・マーリーが初めてメジャー・デビューを果たしたアルバムです。ウェイラーズを結成し、自らその一員となって活躍していたマーリーはメジャーレーベル、アイランド・レコードと契約し、73年にアイランド・レコードでの初アルバム、「キャッチ・ア・ファイヤー」をリリースし、世界的なヒットを記録します。マーリーとウェイラーズはこのアルバムで国際的な英雄となり、以後次々に傑作アルバムをリリースしていくことになりました。冒頭の「コンクリート・ジャングル」から終曲の「オール・デイ・オール・ナイト」まで大都会の抱える「憂い」と「闇」を歌い切るマーリーの歌声と彼らの作り出すレゲエのサウンドは深い感動を誘います。

     ところでマーヴィン・ゲイとボブ・マーリーの二人には不思議な共通点があります。一つには二人ともに若くして世を去らねばならなかったことーマーヴィンは1984年、口論して激情した父親が彼に発砲してそのまま帰らぬ人に、享年44歳、またボブ・マーリーは以前から患っていたガンが足の親指に現れ、それが全身に転移して死去、享年36歳という若さでした。また二人の音楽もへヴィー・メタルやプログレッシブ・ロックのように大音響で絶叫することによってメッセージを伝えようとするものではなく、どこまでもサウンドは洗練され歌声はある種の優しさも持っています。それ故に却って彼らの社会性を持ったメッセージが今私たちが直面している日常的なものであり、極めて深刻なものであることが浮き彫りにされていきます。

     今日は最後にマーヴィン・ゲイのアルバム「ホワッツ・ゴーイング・オン」から冒頭の同名作品と、ボブ・マーリーの「キャッチ・ア・ファイヤー」から第1曲の「コンクリート・ジャングル」をお届けしましょう。お楽しみください。








    "What's Going On"

    Mother, mother
    There's too many of you crying
    Brother, brother, brother
    There's far too many of you dying
    You know we've got to find a way
    To bring some lovin' here today - Ya

    Father, father
    We don't need to escalate
    You see, war is not the answer
    For only love can conquer hate
    You know we've got to find a way
    To bring some lovin' here today

    Picket lines and picket signs
    Don't punish me with brutality
    Talk to me, so you can see
    Oh, what's going on
    What's going on
    Ya, what's going on
    Ah, what's going on

    In the mean time
    Right on, baby
    Right on
    Right on

    Mother, mother, everybody thinks we're wrong
    Oh, but who are they to judge us
    Simply because our hair is long
    Oh, you know we've got to find a way
    To bring some understanding here today
    Oh

    Picket lines and picket signs
    Don't punish me with brutality
    Talk to me
    So you can see
    What's going on
    Ya, what's going on
    Tell me what's going on
    I'll tell you what's going on - Uh
    Right on baby
    Right on baby




    「ホワッツ・ゴーイング・オン」

    母さん、母さん、
    あなたは尽きることなく涙を流している。
    兄弟よ、兄弟よ、
    みんな遠くであまりに多くの命を落としている。
    何か方法を見つけなくちゃならない。
    今日ここに愛をもたらす方法を。

    父さん、父さん、
    もうこれ以上エスカレートしてほしくない。
    わかってるはずだ。戦いは解決にならない。
    憎しみを克服できるのは愛だけだ。
    何か方法を見つけなくちゃならない。
    今日ここに愛をもたらす方法を。

    デモ隊の行列。
    スローガンの数々。
    僕を押さえつけないでくれ。
    暴力なんかで。
    話し合おう。
    そうすればわかるはずだ。
    ああ…何が起こっているんだ?
    何が起こっているんだ?
    ねぇ、何が起こっているんだ?
    ああ…何が起こっているんだ?

    母さん、母さん、
    誰もが自分は悪くないと考えている。
    ああ、でも誰が裁くというんだい?
    単に僕らの髪の毛が長いという理由?
    ああ、何か方法を見つけなくちゃならない。
    今日ここに理解をもたらす方法を。

    デモ隊の行列。
    スローガンの数々。
    僕を押さえつけないでくれ。
    暴力なんかで。
    こっちに来て話し合おう。
    何かがわかるかも知れない。
    何が起こっているんだ?
    ねぇ、何が起こっているんだ?
    教えてくれ。何が起こっているんだ?
    あなたが何をしているのか教えてあげよう。


    日本語訳は以下のサイトを引用させていただきました。
    http://ameblo.jp/yakushinyorai/entry-10097471327.html








    "Concrete Jungle"

    No sun will shine in my day today (no sun will shine)
    The high yellow moon won't come out to play
    (that high yellow moon won't come out to play)
    I said (darkness) darkness has covered my light,
    (and the stage) And the stage my day into night, yeah.
    Where is the love to be found? (oh-oh-oh)
    Won't someone tell me?
    Cause my (sweet life) life must be somewhere to be found
    (must be somewhere for me)
    Instead of concrete jungle (la la-la!),
    Where the living is harder (la-la!).

    Concrete jungle (la la-la!)
    Man you got to do your (la la-la!) best. Whoa, yeah.
    No chains around my feet,
    But I'm not free, oh-ooh!
    I know I am bound here in captivity;
    G'yeah, now (never, never) I've never known happiness;
    (never, never) I've never known what sweet caress is
    Still, I'll be always laughing like a clown;
    Won't someone help me? 'Cause I (sweet life)
    I've got to pick myself from off the ground
    (must be somewhere for me), he-yeah!
    In this a concrete jungle (la la-la!)
    I said, what do you cry for me (la-la!) now, o-oh!
    Concrete jungle (la la-la!), ah, won't you let me be (la la-la!), now.
    Hey! Oh, now!

    I said that life (sweet life) it must be somewhere to be found
    (must be somewhere for me)
    Oh, instead, concrete jungle (la-la!) collusion (la-la!)
    Confusion (confusion). Eh!

    Concrete jungle (la-la!) baby, you've got it in.
    Concrete jungle (la la-la!), now. Eh!
    Concrete jungle (la la-la!).

    What do you stand for me (la-la!), now?




    「コンクリート・ジャングル」

    俺の一日は お日様が輝かないだろう
    高い 黄色いお月様は 遊びに出てきてくれないだろう
    暗闇が 俺の明かりを覆ってしまうと 言ってるのさ
    そして 俺の一日を 夜に変えてしまうんだ
    何処で 愛を見つければいいんだい?
    誰か教えてくれないかい?
    人生を 何処かで見つけなきゃならないから

    コンクリート・ジャングルの他には
    何処で暮らすのが ハードかな?

    コンクリート・ジャングル
    お前は ベストを尽くし始めた
    俺の足には 鎖はついてないが
    俺は 自由じゃない
    ここに囚われて 制限を受けている
    幸せなんか 知らないよ
    甘美な愛撫なんて 知らないよ
    それでも いつものように ピエロみたいに笑うんだ
    誰か 助けてくれないか?  何故なら 俺は
    地に足を降ろそうとしているから

    この コンクリート・ジャングルで
    お前は 今 何を得たんだ?
    コンクリート・ジャングル  

    その人生は それは 探せば何処かにあるはずだ
    コンクリート・ジャングルの他には
    幻想 混乱

    コンクリート・ジャングル お前は その中へ漂着したんだ
    コンクリート・ジャングル
    コンクリート・ジャングル

    お前は 今 何を得たんだ?


    日本語訳は以下のサイトから引用させて頂きました。
     
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